2 車座の会議
 
 
   ***
 
 
  大広間には十五の円座が敷かれていた。既にその殆どに人が座している。入り口から真正面の主座には、大柄な中年の男――部族の長、オルバ=シ−ディンが胡座をかいていた。茶色の髪に琥珀色の瞳、どこか穏やかで悠々とした印象を与えるオルバは、広間に入ってきたユリエールを見ると目で笑んだ。
 その両脇には彼の二人の奥方。正妻のエステルと、十五年前にヘルガニム族の一団が土地を求めたときに、館の下働きとして差し出されたセルメア=ルーウェルタロット。
 生真面目で母との仲も良い父が、どうして彼女を妾としたのかの詳しい事情をユリエールは知らなかったが、セルメアがいつも控えめに振る舞うことと、母がセルメアを無下に扱うことを許さないことを見ると、彼らの間で問題は解決済みなのだろうと思うほか無い。
 彼女らはまるで正反対の容姿をしていた。動と静、明るい赤毛とくすんだ灰金の髪。身に帯びるものを見てもすべてが対照的だ。
 ユリエールは壁伝いに奥に行き、エステルの隣に腰を下ろした。
 既に来ていた弟妹から非難の声を浴びせられる。
「遅いわよ兄さん。始められないじゃないの」
「珍しいね、兄上が食事の時間に遅れるなんて」
「ああ、悪ぃ悪ぃ」
 ユリエールは不真面目に謝る。隣に座っているのは、その年子の妹のシルバだ。くるくるとよく動くきつめの緑の瞳は母譲りで、肩口でばっさり切り添えられた茶色の髪を、今日は飾り紐で纏めている。その隣には十七になる次男のフライエール。ぱさぱさとした茶色の髪と琥珀色の瞳の、穏やかで理知的な少年だ。冬以外は外で畑仕事にかかりきりのせいか、そばかすが消えない。
 一緒に入ってきたダルシャンはフライエールの隣に座って、末の妹アルフェイネアと遊んでやっている。長いこと末っ子だった彼にとって、妹は可愛くて仕方がないらしい。六歳のアルフェイネアはふわふわとした赤毛の長い巻き毛で、母と姉と同じ緑の大きな瞳を輝かせていた。兄姉の誰もが彼女を猫っ可愛がりしていたが、その中でもダルシャンは一際だった。
「ダル兄さま、アルは今日、アスカさんに雪洞を作ってもらいました」
「本当?良かったねぇアル。後で僕にも見せてね」
「はい!」
「ちゃんとアスカさんにお礼言った?」
「はい、アルはちゃんと、ありがとうを言いました」
 アルフェイネアはにこにこと笑う。幼い無邪気さが可愛らしい。
「うん、偉いね!アルは良い子だね!」
 ダルシャンも嬉しそうに笑って、妹の頭を撫でてやる。そんなやりとりを横目で見て、場の誰もが微笑んだ。
 賑やかしいエステルの五人の子供達とは対照的に、黙したまま正座しているのはセルメアの娘、リシャだ。
 今年で十二歳になる、母親によく似た顔立ちの彼女は、控えめにするように言われているのかユリエール達と深く関わることをしない。よく働く真面目な少女だが、それ以上のことを知る術がなかった。
 ――リシャは随分髪が伸びたな。
 ぼんやりと、そう思う。それは、いつもは結い上げている髪を下ろしていたから、そう見えただけであろうが。なにせ、毎晩食事の席で顔を合わせているのだから。灰味がかった金髪の作る影を見つめていると、ふと少女と眼があった。ユリエールは笑いかけたが、リシャは表情をこわばらせて目礼すると、ふい、と視線を背けてしまう。
 読めない子だ、とユリエールは首をかしげ、手元にあった食前酒に手を伸ばした。くい、と一口あおってリシャの隣に目をやると、何やら言い争っている双黒の男女。坂咲春名と狩谷翠だった。東方人にしては背の高い二人は、小声の早口で二、三言い交わすと、険のある目をして睨み合うと、それきり黙ってしまった。春名と翠の口喧嘩は日常茶飯事なのでユリエールももはや驚きはしないが、二人が揃ってこの車座に姿を見せるのは随分久しぶりである。
「あの二人まで来るんだったら相当大事なんだろう、シルバ」
「……まぁね」
 シルバの答えはやはり素っ気ない。望む答えが返ってこないことは初めからわかっていたが、何も知らずにいるのは神経を使う。ちりちりと胸の奥を炙る不安を、飼い慣らすのには修行が足りないらしい。
「……あんまり、聞きたくない話よ」
 同じだ、とユリエールは思う。ダルシャンが見せたのと同じ、何食わぬ顔の裏の微かな悲しみ。シルバもまた、自分の感情を殺してみせることに長けた娘だった。
「わかったよ、後で聞く」
「うん」
 ホッとしたようにシルバは息を吐いた。
 丁度その時、厨房への連絡に行っていたらしいアスカを含む四人の衛士達が広間に入ってきた。彼らが残りの円座を埋めると、オルバはにっこりと笑って杯を掲げる。
「よし、全員揃ったようだな。料理と酒を!冷えた体に熱い火を!」
「熱い火を!」
 列席の男達は和して杯を上げる。女達は両手で杯を持って黙礼した。それを合図にしたように、広間には料理の大皿や酒肴が次々と運ばれ、食欲をそそる匂いが広がった。
「心ゆくまで。ただし」
 オルバは一旦言葉を切る。
「会議もある。呑み過ぎないようにな」
 車座の面々を見渡し、そう言ってから、彼もまた近くの料理に手をのばす。昔から多くの東方人が渡ってきたこの地域では、食事にツィアクと呼ばれる二本の細長い木の棒を使う。「向こうでは『箸』というのよ」と、いつだったか翠が教えてくれた。
 そんな父を横目でみながらユリエールは、あのひとは自分のように焦ったり、不安になったりするのだろうか、と思う。約一万の民の人心を掌握する男は、あまりにも大きく見えた。
「兄さん、取り敢えずご飯食べて。それからよ」
「言われなくても、飯は食うぞ俺は」
 にっ、と笑ってみせると、漸くシルバも笑顔を見せた。
「そうよねぇ。言うだけ無駄だったわ。さ、食べよ食べよ!」
 そうして、二人も大皿の料理に手を伸ばしはじめた。
 キーレルベル地方の主食は主に小麦であるが、湖河の水を利用できる東と北のアルキア平野、そしてヘルガ・イスム湖の畔では、東方由来の水稲栽培も定着しつつある。部族によってその利用の配分は異なるが、シーディンでは近年三割ほど米を使っていた。車座の真ん中には米飯ときつね色の丸パンが両方ある。
 他には、温室野菜のシチューと魚介の香草炒め、冬熊の肉に茸と野菜を詰めた包み焼き、干し杏と木の実のバターケーキ等々。透星の行商人が定期的に売り込みに来る中原茶も、極上のものが用意されていた。香り高い中原産の茶は、ユリエールの好きな物の一つである。
「あ、兄上。中原茶の新しい包み、今日届いたよ。食料庫に取り分けてあるから、後で持っていって」
 フライエールが包み焼きを取り分けながら言った。
「本当か?」
 多少浮かれた調子で、次弟の方を見ると、フライエールの影からダルシャンがにゅっと顔を出した。腹が立つ位に満面の笑みだ。
 嫌な予感
「兄上〜、それ僕が頼んだんですよぅ。そろそろ部屋に置いてるの切れる頃だなぁって、思って♡」
 的中である。ユリエールの顔が緩んだのまま固まったのを見て取ってダルシャンはますます面白そうに笑うのだった。
「あー、ありがとありがと」
「心がこもってません」
「フライ、そいつを黙らせろ」
「無理だよ兄上」
 フライエールは兄と弟のいつものやりとりを平然とかわして、我関せずといった体で包み焼きを頬張っている。炎舞館の料理人は、顔は怖いが腕はよいことで評判だ。
 ユリエールはダルシャンを適当にあしらうと、魚介炒めを丸パンに挟んで食べ始めた。細かく刻まれた香草の香りが口の中に広がる。ここは妹の言うように、取り敢えず食べよう、と、間の抜けたことを思った。
 
 
  アスカは黙々と、不機嫌そうな顔でツィアクを動かす。別に不機嫌でもないのにそんな風に見られてしまうのは、やはり苦虫を噛み潰したような表情のせいだろう。今日は突然の重大事らしい会議の内容について思いを巡らせていたのではあるが。隣に座っていた翠が、呆れたように肘鉄を喰らわした。
「ちょっとアスカ」
 細い腕はそれでも幼い頃から武術で鍛えられた彼女の武器だ。無防備な脇腹には結構痛い。
「何をする」
「そんなに難しい顔して食べるの、止しなさいよ。折角の御馳走が台無しじゃないの」
 翠は文句ありげにこちらを見る男の、眉間に人差し指をぐりぐりと押しつけた。
「がっ」
「あんまり根詰めて考えすぎると、禿げるわよ」
「な…」
 白い肌にはっきりと浮かぶ左目の下の泣き黒子。にやぁ、と目を細めて笑う翠に、アスカは噛み付きそうな勢いで何か言いかけたが、翠の方が早い。
「美味しい物食べてるときは楽しそうな顔するの!まぁあんたがいきなりにこにこ笑っても気持ち悪いから、程々にね」
 翠の隣でそれを聞いていた春名がゲラゲラと笑って、アスカの方を見るとまた可笑しそうに笑った。
「…坂咲先生」
「わりぃ、今お前がにこにこ笑ってんの想像しちまった…ぶふっ」
 もう何杯目だかわからない酒の杯を持ったまま、春名は方を震わせている。同じ位の杯を空けた翠も、可笑しそうに笑った。
「ふん」
――理不尽だ。
 憤慨するアスカだったが、先ほどのピリピリした焦燥の表情は消えていた。相変わらず、眉間に皺は刻まれたままだったけれど。自棄のようにあまり強くない酒をあおるアスカを見て、翠は少しだけ、今度は優しい目で笑った。
 
 
 わいわいと賑わう車座の中、少女はふと手を止めた。
 ちら、と横目で母を見る。父である族長の隣に座ることを許されながら、とても所在無げなセルメア。
 父は母娘に優しかったが、明るいエステルと話しているときの方が、何倍も楽しそうに見える。溌剌として、年齢を感じさせない赤毛の美しい女性。赤毛の。
 赤は嫌いだ。
 その人がとても優しいから。自分のことを邪魔に思ってもおかしくはないのに、ともすれば本当の母以上に暖かく自分に接するエステルが、少女には眩しくてならなかった。無邪気に自分に懐いてくる、彼女の末娘もまた。
 そして――視線を滑らせると、談笑の中心にいる焔の化身。セルメアよりもアルフェイネアよりも、ずっと鮮やかで鮮烈な赤毛。跡継ぎの証の緋の上衣。
「…………」
 赤は、嫌いだった。

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