静夜思
願わくば、同じもののことを考えていて。
叶うなら、届かない歌でも歌い続けて。
  
 
 
 
 
 晴れた満月の夜は、鉄格子越しに眩しいほど白い光が床に落ちて足元まで伸びる。
 ルネは、かつて泣く彼女を抱き締めたのと同じ独房で、一人、月を見ていた。
 
 どこかで。
 どこかで、ソルは同じ月を見ているのだろうか。
 
 そんな陳腐な事を、考えたりしながら。
 
 
 
 
 
   *
 
 
 
 
 
 昼間のルネはすこぶる大人しい。窓を閉めきり、カーテンをかけて、通路側の窓も閉めきって寝台に寝転がっている。
 一年前の革命の折に、『裏切り者』ソル──ソレイユ=アーテンサイアを逃がしたかどで、ルネが投獄されて半年になる。どうやら自分の罪は、思った以上に重いらしい、とぼんやり思った。
 重要なのは敵対する勢力の娘一人を逃がしたことではなく、ルネが組織『青い鳥』の掟に背いたことなのだろう。
――自由の青い翼を求めて仲間の誓いを立てし者、決して同胞に背を向けるなかれ。
 ソルは掟に背いたと疑われたが、彼女の場合は証拠がなかった。ルネには彼の裏切りを裏付ける証拠が山のようにあるのだ。
(最悪、死罪かなぁ)
 それは困るんだけど、と実感が湧かずどこか他人事のようにそこまで考えると、薄い色の睫に縁取られた瞼を閉ざす。
 後悔は、多分していない。
 そうであるように、歩いてきた。
 
 
 暫く眠っていたらしいルネが次に気付くと、遠くから反響するような足音が聞こえる。看守のものじゃない、もっと荒っぽくて苛付いたような足取り。
(ギアだな)
 静かに一呼吸置いて、近づく足音の主に声をかける。
「ギア?」
「まったくよー、お前には可愛げってモンがないのか、ルネ。ちょっとは驚くか、嬉しそうな顔するかしろ」
 聞きなれた乱暴で悪態ばかりの友人の声が、静寂になれた耳に少し痛い。だけれど懐かしい気持ちで、ルネは寝台から起き上がった。
「二十三の男に可愛げがあってどうするんだよ」
「まーそれもそうか」
 たはは、とギアは笑うと、独房の正面の廊下の壁に背を任せて、どっかと腰を降ろした。
「元気か。相変わらず顔色悪ィな」
「おかげさまでまぁまぁ元気だよ。今日はどうした?」
 その問に、ギアはとても居心地の悪そうな表情になる。言いたくもないことを言うとき、いつも彼が見せる仏頂面。数瞬の沈黙の後、ギアの声が独房に静かに落ちた。
 
 
「今、新議会がお前の処分を決めてる。道は二つ――死か、無期監禁」
 
 
 それは、天国と地獄と二別するにはあまりにも似通った往き先のように思われた。
 ルネは静かに笑う。
 
 ソル。
 
 
 
   **
 
 
 
「死罪は遠慮したいよ、さすがにね」
 一度は覚悟したのだけれど、生きているほうが良いに決まっている。
「お、さすがのお前でも死ぬのは嫌か」
「そうだね。死んでしまったら二度と会えない」
 主語の欠けた言葉だが、誰に会えなくなることを危惧しているのかは明らかだ。
「まぁたソレイユか」
 うん、とルネは笑った。
「お前、バカだろ」
 呆れるギアに、ルネは心外そうに答える。
「そうかな」
「じゃなきゃそもそもソレイユなんか助けねーよ」
「なんか?」
 なんか呼ばわりは聞き捨てならない。
「あんな、ぬくぬく育った世間知らずのお嬢、一人で放り出したってのたれ死ぬだけだってのに。お前、ソレイユのせいで死罪になりかけてるって忘れてねーだろうな?」
 俺は、嫌だぞ。
 そうギアは言って、ふてくされたようにそっぽを向いた。
「忘れてない。それにギア、ソルは一人じゃないよ。あの人達が、出来るだけ気にかけるようにするって言ってくれたし」
 彼女を逃がしたピンクの頭をした極楽鳥のような男とその仲間は、確かにそう言っていた。
「あのトリ頭か?信用できんのかよ」
「わかんないけど」
「お前なぁ!」
 思わず声を荒げるギアを見ながら、でも、とルネは思う。
 彼らの好意は、多分本物だった。
――逃がしたいか?
 あの、人をその気にさせる奇妙な説得力のある男。彼が、責任持って逃がしてやると請け負ったソルの事を、中途半端に放り出すとは何故か思えない。
「ギア、ソルが心配なんだ?じゃなきゃそんなムキにはならないだろ」
 にっこりと笑ってルネが言うと、ギアはとても嫌そうに眉間に皺を寄せた。顔が赤い。
「なっ…!お前さ、んなことあると思うわけ?」
「うん」
 だって、と続ける。
「ソルってさ、なんか思わず手を貸したくなっちゃうんだ。小さいとき、ホント可愛かったなぁ。オレの後ずっとチョコチョコ付いて歩いて。目が合うと凄く嬉しそうに笑うんだ。オレ、全幅の信頼寄せられたのってあれが最初かもしれない」
 くるくるとよく動く、明るくて無邪気な女の子。
 彼女の父親が議長になんてならなければ、ずっと傍に──普通の男と女の子として傍にいられたのに。もっとも、ルネの方は今までもこれからも、ずっと普通の男なのだろうが。多分、ソルにとっても。
 ずっと。少しでも、特別な一人でありたかった。
「はっ、おめでたい性格だなあいつもお前も。そんな簡単に人を信用する奴を、一人旅なんて出しても騙されて身包み剥がれてポイだろが!」
 ルネは静かに首を横に振る。
「や、たぶんきっと平気。あの子の人なつっこさも信頼も明るさも、本物だから。どんな悪人でも良心の呵責が」
「何で俺を見て言う」
 ギアは噛み付きそうな目で、ルネを睨んだ。
「だって後悔してるだろ?あの子を殴っちゃったこと」
「………泣くなんて、思わなかったから」
「ギアは男所帯で育ったからな。女の子の扱いなんてわかんないんだろ」
「余計なお世話だよ!じゃあお前はどうなんだ」
「オレ?ああ、オレもギアのこととやかく言えないかな……オレにとってはソルが、たった一人の女の子だったから。昔からね。だから、ソル以外の女の扱い方なんかわかんないんだ」
「そんな好きなのか、ソレイユのこと」
「そうだよ」
 間を置かずに答えるルネを見て、ギアは何故だかひどく打ちのめされたような表情になり、続ける。
「あいつのせいで死ぬことになっても?」
「そうだよ。それにこれは、オレがしたくてした事の結果だから」
「……死んだら、約束守れないだろ」
 あいつが泣く、とギアはルネを見た。
「……そうでもないかも。この約束は終わらない。何があっても」
 ルネはそう言って微笑んだきり口を閉ざしたので、ギアは物問いたげな目で彼を一瞥し、ため息を落として、去った。
 
 
 
 
 月の明かりがルネの肌を害することは無い。
 晴れた満月の夜は、鉄格子越しに眩しいほど白い光が床に落ちて足元まで伸びる。
 ルネは、かつて泣く彼女を抱き締めたのと同じ独房で、一人、また月を見ていた。
 
 
 
 
 希っても希っても、オレの願いは叶わない。
 叫んでも叫んでも、彼女に歌は届かない。
 だけど、多分彼女は元気で、陽の当たる所を旅しているのだろう。
 いつか、オレが待っているこの街に、彼女は帰ってくるだろう。
 どこかで。
 どこかで、ソルは同じ月を見ているのだろうか。
 願わくば、同じものの事を考えていて。
 叶うなら、届かない歌でも歌い続けて。
 いつまでも、君のことを思っているから。
 
 
 
 
 そんな陳腐な事を、考えたりしながら。
 

 
 
   ***
 
 
 
 数週間後。
 一発ギアに殴られたルネは、いつも通り長布を頭に引っ掛けて、独房の外に出た。
 そして彼が同じ独房に戻ってくることは、無かった。
 喧騒が耳を塞がせたその瞬間に、ルネは静かに目を閉じてすべてを受け入れた。
 ギアの怒鳴り声がとても遠い。
 
 
 
 
 
 ソル。
 
 帰っておいで。
 
 
 いつまででも、待っているから。
 
 
 
 
 
おしまい
2004年7月発行個人誌「旅行者」収録作品

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