極楽鳥の居る午後
彼女は憶えていない
俺は忘れない
彼は知っている
  
 
 
 
 
 午後。
 窓辺で黒髪の男がうたた寝をしていた。
 それを見ているもう一人の男は、ピンク色の派手な頭で、理解不能な程派手な服を着ている。
 極楽鳥の居る午後、陽だまりの中で、男は苦しくて少しだけ懐かしい、夢を見ていた。
 
 
 
 
 
   *
 
 
 
 最強の女。
 彼女と俺はずっと一緒だった。
 彼女は今も強くて、とても綺麗だ。
 今も俺の傍に彼女はいるけれど、昔の彼女じゃあない――彼女は、すべてを忘れてしまった。
 俺と彼女が恋人同士だったことも。
 「朱の女神」と呼ばれた銃火器のエキスパートは、突然戦場から姿を消した。
 一筋の硝煙が立ちのぼり、彼女の慟哭が響いたあの日を忘れない。フラッシュバックする風景は、穢れた赤で染まっている。
 綺麗な髪は焼け焦げ、血塗れで倒れた彼女は、目覚めたときには何もかもを記憶の深淵に置いてきてしまったようだった。
 傷ついた瞼をゆっくりと持ち上げて。子供のようにあどけなく、真っ直ぐに、彼女は俺を見て訊ねた。
「お前は誰だ?私のことを知っているのか?」
 涙が出た。
 それでも俺は彼女の傍に居る。
 それでも俺が彼女の傍に居る。
 彼女は、独りじゃない。
 俺は、忘れてなんか、やらない。
「お前の名前、エカテリーナ。俺は、カー」
 
 
 記憶を無くしたエカテリーナへの俺の片思いは、果てしなく続くような気がする。
 
 
 
   **
 
 
 
『朱の女神と破壊神』
 そう呼ばれた二人組の傭兵がいた。
 その彼らが、ある東の国で唐突に消息を絶った。ある男が、それを知って二人を探しに行くと、数ヶ月前に大規模な民族抗争が起こった戦場のすぐ傍の炭焼き小屋で、昏睡している女と、彼女を看病する青年が見つかった。
「俺のとこに来いよ、破壊神」
「俺もう破壊神なんかじゃないよ…こいつがこのまま死んじゃったら、俺」
 短い黒髪に、首には緑のスカーフ。手足を持て余し気味の背の高い彼は、気弱な様子で顔を歪めた。
「お前もこいつも、俺が助けてやる。安心しろって」
 派手なピンク色の髪に琥珀の瞳のその男は、ひどく自信ありげな様子で黒髪の男の肩をばしばしと叩く。
「…ホントか?」
「マジだ。お前、名前は」
「カーレル=ベストラル。みんなカーって呼ぶけど。こいつはエカテリーナ=ロシュエン」
 カーレルは、眠ったままの女を視線で指して言う。それから、本名言われると気持ち悪いからあんたもカーって呼んで、と付け加えた。
「じゃあカー。俺が二人共面倒見てやる。その代わりお前ら俺に雇われろ」
 カーはきょとんとした顔で男を見る。
「あんた、誰?」
「俺は、シエル=アーデル・ソライディ・オ・トレール=マンシャーレ……やめとこう、まだ長いんだ。何せ家が古くてな。お前、雇われる気あるならボスって呼べ」
 シエルはニヤリと笑って、カーの目を見る。
 カーは変な生き物を見るような目でシエルを見てから、心を決めたようにしっかりと頷いた。
「…うん、ボス。エカテリーナを助けてくれ」
 まっかせなさい、とシエルは笑って、小屋の扉をドカン、と蹴り開けた。風の吹き荒ぶ小屋の外には、大型の車と医師団。
「俺には出来ない事ばっかだけどね、俺が助けたいと思った奴らを助けるだけの力はある」
 シエルは穏やかな声で言うと、医師団にエカテリーナを車に乗せるように命じると、カーに荷物を纏めさせた。彼は二人を、さらに東の島国へ連れてゆくという。東の最果てと呼ばれる小国へ。
「いろんなことが出来るいろんな奴らを、集めるのは得意なもんで」
 カーは、エカテリーナはこれで助かる、と、奇妙な予感を感じながら、その言葉に従った。
 もしエカテリーナが目を覚ましたら、この人に一生、無料で雇われる。何だってする。
 生きる希望の光を失うくらいなら、生きる道を切り捨てるなんてどうってこと、ない。
 
 
 
   ***
 
 
 
 なぜあいつらを助けたかって?
 んな、大した理由なんかないよ。
 面白い生き方してるなぁって思ったから。そんだけ。
 思ったとおり、カーは一本気な馬鹿で面白いし、エカテリーナは可愛くて頭良いしね。銃火器使わせたら二人共右に出るモンないってゆーか、まさに「最強」だったしさ。
 ただ、エカテリーナの記憶は――カーを見てると切なくなるから、戻って欲しいような気もする。だけど思い出すのは、エカテリーナにとっても辛いだろうから。
 まぁ、なるようにしかならないだろうさ。
 いつかは、カーの片思いも、終わると思うよ。
 
 
 
   ****
 
 
 
 エカテリーナには妹がいた。彼女は傭兵でも何でもなかったが、姉妹には身寄りも無かったので、三人は一緒に放浪していた。
 ある時、同じ放浪者で、赤のテンガと呼ばれる博徒が三人と出会った。妹――イリーナと彼は恋をして、旅の道連れは四人になった。
 半年が経とうとした頃、惨劇は起こった。
 ある日エカテリーナが、妹の様子がおかしいのに気が付き、彼女を問い詰めた。イリーナは、テンガのつくった借金のカタに、賭け酒場に放り込まれて散々辱められたのだと、涙ながらに告白した。
 妹の泣きはらした眼と、体中に刻まれたおぞましい刻印に、エカテリーナは激怒した。
「イリーナになんて事をしてくれたのよ!あの子はあんたの恋人じゃないの!」
 テンガは不敵に笑って、言う。
「そこにあったから利用しただけさ。初めから、愛してなんかいなかった。見た目が綺麗で、お前とカー、『最強』のおかげで食うには困らなさそうだったからついてきただけだ」
 頭から毛布を被って、震えていたイリーナは、その言葉にますます青くなった。
「信じてたのよ、あんたの事!イリーナに、これからどうやって生きていけって言うの?」
「生きていけないなら楽にしてやるよ」
 ほら、とテンガが、無造作に取り出した小銃でイリーナを打ち抜いた。飛び散る鮮血。
「あ……?」
「イリーナ!」
「姉さん…テン、ガ……」
 呆然とする姉妹を嘲笑いながら、テンガは続けざまに四発、イリーナに銃弾を浴びせた。
「貴様ぁッ!」
 エカテリーナがホルスターから銃を取り出してテンガを撃つより前に、テンガの撃った弾がエカテリーナの腹を貫いた。
「……ッ」
 それでも体勢を立て直して放った一発が、テンガの肩を貫通する。
「はッ。『朱の女神』も只の博徒に撃たれるなんて堕ちたもんだな!」
 肩を抑えてテンガはせせら笑い、うずくまるエカテリーナを蹴飛ばしてから、部屋のランプを叩き落した。床に飛び散る油と、広がる火の舌。
「…何だ、これは。テンガっ?」
 その時、カーが外から帰ってきて、火の手の上がる部屋と血塗れの姉妹、銃を持ったテンガを目にして凍りついた。
「カー!そいつを殺して!イリーナが……」
 エカテリーナが搾り出すような怒声をあげ、引き金を引く。それと同時に、とっさにカーが放った一発が、テンガの左胸を粉々に砕いた。
 テンガが火の中に倒れこむのと、イリーナが息を引き取るのはほぼ同時だった。
「イリーナあぁッ!」
 永くて痛切な、悲鳴。
 
 
 それきりエカテリーナの記憶は、ぷつりと音を立てて、途切れた。
 忘れてしまいたい、こんな酷い光景。
 忘れてしまいたい――何も、かも。
  
 
 
   *****
 
 
 
「ただいま…ボス、カーは寝てるのか?」
 部屋の入り口からゆっくりと入ってきたエカテリーナが、呆れたようにシエルに訊ねた。
 あの日、焼け焦げてしまった長く美しい栗色の髪は、短く切り揃えられたままもう四年半が経つ。
 彼女は、まだ思い出さないままだ。
 シエルは豪華な肘掛け椅子に背中と腕を預けたままで応え、問い返す。
「そうみたいだねぇ。で、エカテリーナ。ササイとリブラの子供はどうなった?」

「元気な黒髪の女の子。リブラが名前はソルってつけたいって言っていた」
 エカテリーナは微笑む。あれから男物の服しか着なくなった彼女だが、微笑むと女性の顔になる。
「ソル、ね。ソル=ブライトはどうしてるかな」
「こないだ、ロウミュラに帰って良いって教えたんでしょう、ボス」
 うん、とシエルは手元の書類を見ながら頷いた。
「ウチの城下町で教えたからなぁ。帰り着くまで一年はかかるかも」
「でもルネ=セブンスは待っているだろうし」
 彼女は必ずたどり着くだろうと、エカテリーナは笑った。
「まぁね」
 カーが二人の話し声に目を擦って起き上がると、唸った。右の前髪がはね上がっている。
「んぁ?あー、おかえりエカテリーナ」
「ただいま」
 二人の間の空気は、仲間のまま変わることはなかった。とりあえず、今のところは。
「どうした、変な顔して。寝ぼけているのか」
「うんにゃ。ちょっと昔の夢を見て」
「昔の夢?」
 そ、とカーは笑う。
 エカテリーナが思い出すまでは。
 もう少しこのままでもいい。
 俺は彼女の傍にいられるのだし、彼女の命は助かったのだ。まだ、最低じゃない。
 これから、何だってできるのだから。
 
 
 
 
 
 エカテリーナは憶えていない。
 カーレルは忘れない。
 そのことを、シエルは――ボスは、知っている。
 東の最果ての王宮の一室では、若くて放浪癖のある、まるで極楽鳥のような派手な王と、彼が雇った二人の奇妙な傭兵が、穏やかな午後を過ごしている。
 
 
 
 
 
 
おしまい
不思議な三人の小さな話
2004年7月発行個人誌「旅行者」収録作品

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