ムセイオン
何かを愛するあなたへ
  
 
 
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 この街には博物館がたくさんある、とソルは思った。
 とても涼しい静かな街で、なのに人は誰も歩いていない。
 無人の街?そんなわけはない。
「お嬢さん、そこの黒髪の君!」
「あたし?」
 ソルは振り返って、声を掛けてきた人を探した。
 向こうの道の真ん中から、黒いスーツを来た若い男が歩いてくる。
「そう、君。旅行者?」
 黒髪で、銀縁眼鏡の彼は、やぁ、と手をあげて笑いかけてきた。
「そうだよ。あなたは?この街の人?」
「そんなとこだ。案内してあげようか?」
 旅行者は珍しいのだと彼は言った。
「それじゃ、誰のための博物館?」
「自分自身のさ」
「?」
 とにかく、案内はありがたい。ソルは青年にお願いしますと頭を下げた。
「あたしソル。ソル=ブライト」
「僕はミューズ」
 ミューズは女性名では、とソルは思ったが、口には出さなかった。
「よろしくミューズ」
「こちらこそ。行こうか」
 二人は、静かな街の大通りを歩き出した。
 
 
 
   **
 
 
 
「ここは?」
「宝石展示館」
 そうは言っても真っ暗闇なのでわからない。ミューズは壁のスイッチを押した。
「うわぁ」 途端、部屋中のランプに灯がともる。揺らめく明かりに煌いているのは、数え切れないほどの宝石だった。
 ダイヤモンド、ルビー、サファイア、エメラルドにトパーズ。アメジストにアクアマリンに真珠や珊瑚・オパール、ガーネット。その他の宝石や天然石は、名前すらわからない。
「凄いだろ」
「溜め息しか出ないや」
「これ、これ。持ち主が呪われるって言われてる」
 ミューズが指差すのは、巨大な青みがかったダイヤモンドのネックレスだった。
「そういえば、ここの館長さんは?」
「死んだよ」
 ミューズは部屋の一番奥を指差す。
「だいぶ前に。自分のコレクションが誰かに盗まれるんじゃないかってノイローゼになってね」
 愛する物が、命を縛る鎖になった。
 美しい女は、ガラスの棺に閉じ込められたまま、もう永遠に開かないその瞳で、彼女の愛しい宝石たちを見つめているようだった。
「呪い?」
「さあ、そこまでは」
 
 
 
   ***
 
 
 
 次に入った大きな展示館には、世界中の珍獣が剥製にされていた。
「オレ。オレ。俺が全部見つけたのコレ」
「彼はアラダ。狩人なんだ」
 頭が鳥の巣の中年男が唾を飛ばしながら言う。ミューズは顔を顰めて眼鏡を直した。
「かわいい…」
 ソルは動かない動物達を見つめた。
「ちょっとかわいそうだけど」
「おい、小娘、今に見てろよ。オレ様はいつか、伝説のモモイロコシフリウサギを見つけて見せるからな!」
 なんじゃそりゃ。
 狩人のアラダは人の話を聞いていない。世界をまたにかけて活動中の彼が、自分の本拠地にいるのは珍しいそうだ。
 
 
 
   **** 
 
 
 
 その次に入ったのは図書館らしい。
 らしいというのは、中に入ることができなかったからだ。入り口を開けた途端に数十冊の本がこぼれ落ちてきた。微かにわかる通路は、ずっと奥まで続いていたが、踏み入ることは不可能だった。
「コレ展示してるって言う?」
「ほら、自分のための図書館だから」
 生活はどうなっているのやら。
 でも本漬けの生活は、ちょっと面白そう。
 
 
 
   *****
 
 
 
「怖いね」
「そう?」
 こんどは、お面の博物館。
 喜怒哀楽で分けられた展示室。喜と楽の部屋には入らないほうがよかったなぁ、とソルは思った。
 張り付いた笑顔の何千枚のお面が、四方から迫り来る感覚。背筋に生暖かい汗が落ちた。
 まだ、怒られたほうがマシ。
 
「あ、これ知り合いに似てるわ」
 怒の部屋で見つけた色黒のお面。南部の演劇用の伝統工芸品らしいが、ちょっとタレた目と顰め面が、いつも怒ってばかりだった青年を思い出させた。
「元気かな?」
 ちょん、と面の額を突ついて、ソルは笑った。
 
 
 
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「植物園?」
「そう、凄いだろ」
 うっそうと繁る植物園の植え込みの中で、ハチミツのような色の髪をした男が丁寧に花の世話をしていた。
 彼もまた目が悪いらしい。横長レンズの縁なし眼鏡が、鼻にずり落ちている。
「あぁ、お客さんなんて珍しいですねぇ。こんにちは、ルフィンといいます」
 のんびりと笑う彼に、ソルも笑いかけた。
「こんにちは、あたし、ソル」
「よろしくソルさん。僕はね、ここでたくさんの植物を育てて生かされてるんです」
「生かされて?」
「ええ、結構救われるんですよ〜。心を注いだ分だけ実ってくれるモノがあるだけで」
 優しく声を掛けると、花は美しく、実は大きくなるのだと彼は言った。
「ここにあるのは皆、家族が好きな花だから」
「ご家族」
 ルフィンは寂しそうに笑う。
「はい。父と母と、兄が一人に弟が二人、妹一人。今は皆離れ離れになってしまったんですけど」
 彼は日当たりのいい一角に分け入っていくと、一本の向日葵を持って戻ってきた。
「これをあなたに、ソルさん」
「いいんですか?」
 ソルは鮮やかな黄色に目を見張る。
「これは、妹が好きな花です。あなたとちょっと似ていました」
「へぇ、どんなところが?」
 ミューズが向日葵の花をつつきながら尋ねた。ルフィンは少しだけ間を置いて、穏やかに答える。
「明るくて、素直で、人の目を見て話ができる子でしたよ。大食いで、猫ッかぶりでしたけどねぇ」
 ミューズがぶっと噴出した。ソルは顔を真っ赤にして怒鳴る。
「何がおかしいのよ、ミューズ!」
「とても、優しい子です」
 ルフィンがにこにこと笑うので、ソルは頬を膨れさせたまま、黙った。
「妹さんは、今は?」
 笑いをこらえながらミューズがまた聞くと、今度はちょっと悔しそうに彼は答える。
「とっても正直者の王子様の所にお嫁に行きました。とても幸せそうに笑います。ソルさん、あなたにも幸せがきっと来ますよ」
 ありがとう、とルフィンと握手を交わして、ソルとミューズは植物園を後にした。
 
 
 
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「ホントはまだまだあるんだけどね。この街にある建物は、殆ど全部博物館なんだ」
「そんなにたくさん?」
 ソルは呆れたように息をつく。
「一人一人の、自分のための博物館だって言ったろ?住んでる人の数だけあるようなもんだよ」
 今日回ったのは比較的まともなとこ、とミューズは悪戯っぽく笑う。下着博物館やら、人体博物館やら、爆弾博物館やら様々らしい。
「人の数だけ、その人の好きな物があるから」
 そのことを知っているから、住人は徒に他人のコレクションを批判することだけは絶対にしない。それがこの街のルールだ。
「ねぇ、ミューズの博物館は?」
「僕?」
 何のだと思う?とミューズはソルを横目でちらりと見て含みのある笑みをもらす。
「……わかんない」
 暫く考えてみるが、それらしいモノが全く思いつかない。降参、とソルはミューズに向き直った。
「僕の博物館は、この街さ。博物館の博物館だ」
「え」
 ソルはぽかんと口を開ける。
「この街の人たちは街自体には関心がなくてね。だから街の名前も僕が付けた」
 ミューズはソルの耳元で歌うように、言った。
 
 
 
 この街の名前は、ムセイオン。
 あらゆる者があらゆるものを集めている街。
 そしてそんな者達を、集めている彼。
 ここは、彼のムセイオン。
 
 
 
 
 
おしまい
2004年7月発行個人誌「旅行者」収録作品
for "MUSEION" and my friends of A.E Sr Highscool literature club !
 

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