第一章 東のシ−ディン




   1 音帯び


   *


 雪が降る。
 景色を白く染め変えて、空の埃を食べて。
 空気はキンと澄んでいた。雪は音もなく降り、世界の音を遠いところに封じ込めながら積もってゆく。
 ただしそれは大概の場合で、この青年が立てる音は雪の力を持ってしても封じきれないらしい。大股で雪を蹴散らしながら歩くどかどかと豪快な足音と、よく通る、心地よく通る低い声。それから装身具の古い金属の立てる微かな擦れ音と、腰に帯びた剣の鍔鳴りの音が、彼の行くところ何処にでもついて回る。
「よぅ、若様!寒いですなぁ!」
「情けねぇな、小父さん。まだ冬の入りだぞ」
 街路を歩く彼に、店の前の雪かきをしていた男が声をかける。彼は強面の屈強な若者を数人連れていたのだけれど、先に戻ってて、と言うと男の店先に積み上げられた雪の山に腰掛けた。
「巡回の帰りですかい。……ありゃ冬熊かね」
 男は雪かきの手を止め、足下に突き立てたスコップに寄りかかりながら、足早に街の奥に向かって歩いてゆく若者達を見る。大きな麻布で包まれ、縄をかけられた獣の死骸を運んでいる。
「そうなんだよなぁ、このひと月で五匹目だ。いつもは一年に五匹でも多い位なのにさ」
 青年はやれやれと溜息を吐くと、革の手袋をした手で、手元の雪を集めて雪玉を作る。それを弄びながら苦笑した。
「だけどおかげで乾し肉には困らなさそうだ。館の方で配ってるから、小父さんも暇があったら取りに来てくれよ」
「ああ、そうさせて貰うよ。しかし五匹かぁ……今年はやけに」
「多いよねぇ、まったく」
「あー、若様だ!」
 青年と男の会話に、母子連れが入ってきた。青年は、嬉しそうに赤い頬を緩める小さな男の子の頭をくしゃくしゃと撫でると、二人に笑いかける。
「ナーナおばさん、久しぶり!元気かーエド!」
「うん、元気!」
 小さなエドガーははしゃいで青年にじゃれついた。
「ほんとに久しぶりだこと。巡回もお疲れ様ねぇ、冬熊がこんなに多いとさ」
 パン屋のナーナは小麦粉の袋を抱えてニカッと笑う。
「なんの。ウチはみんなに食わせて貰ってんだから、この位しなきゃさ。きっちり働かなきゃ申し訳が立たないんだよね」
「あらそれはありがとさん!ほんと、あんた不真面目そうに見えて真面目よね」
 違いねぇ、と男も笑った。
「なんだよそれは」
 青年は文句あり気に二人を睨む。そしてフッと顔を緩めると、立ち上がって外套の後ろを叩いた。雪玉を足下に放る。
「ま、いっか。俺もう行くよ。おばさん、今度ウチにも焼きに来てくれよな」
「はいはい。館の窯は使いやすくて好きよ」
「じゃあなエド。風邪引くなよ!小父さんもな」
「あい、ありがとうよ」
「ばいばーい!」
 三人に手を振って、青年はまた音を振りまいて歩き始めた。周りに集まっていた他の街人も、各々の場所へと散ってゆく。
 ここは、シーディン部族の集落。東アルキア平野の北部、キーラン山脈を背にしたシーダの街。ここを統治するのがオルバ=シーディンと云う男で、先代の後を継いで長の任についてもう十九年が経つ。四十の半ばを過ぎたこの温厚な大男を、部族の誰もが愛していた。
 シーダの街は族長家の館を取り囲むような環状の造りで、小さな市場や商店と民家が寄り集まってできた、およそ街とも言えぬような小さな集落だが、ここにシーディンの民の半数以上が住んでいた。残りは平野の南、オルバの妹ガリヤが治めるアルクィス川沿いのフレーアの街に住んでいる。
 音を振りまく若い男は、雪片付けの人影が多い大通りを、真っ直ぐに族長オルバの館、「炎舞館」へと歩いてゆく。
 空は灰色に垂れ込めて重い――また、積もるだろう。


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