ロゼッタの汽車
01
  
 
 
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 青い祈りの都、と呼ばれる都市があった。神への祈りに満ちた静謐な都、サンルメール。そこには天上の民の如し、と謳われる、金の髪と白皙の肌、宝石のような青や翠の瞳の、美しい民が暮らしていた。
 そして、海と砂漠と荒野を隔ててその南にあるのがアイツオフィアという古い王国。サンルメールの民とは対照的な、褐色の肌に漆黒の髪と瞳、勇壮で剛毅な民が住むと云う。
 かつて、平和だったサンルメールに、領土拡大を目論むアイツオフィアが攻め込んだことがある。結局それは叶わず、サンルメールにアイツオフィアが謝罪してその戦争は終結した。
 それは、百年以上も前のこと。
 それが、すべてを狂わせたもと。
 サンルメールの時計は、まだ止まったままだ。
 
 
 サンルメールから伸びる線路と、東の果てから伸びる線路が交わる所から、南に向かう線路が始まる。ずっとずっと先には大地の色の民が住んでいる。
 その交差点に駅がひとつ。あまり人影の無い白壁の建物だ。窓にはこの地方の地図を描いたステンドグラスが嵌め込まれている。
 夕日に照らされて、赤みがかった地図が広がる待合室に、一人の少女が立っていた。白い鍔広の帽子を被って、長い黒髪を背中に垂らしている。背は高く、真っ直ぐに線路の果てを見詰める瞳は青。足元に置いてある、使い古されたトランクのポケットには、時刻表が乱暴に突っ込んであった。
 警笛の音が聞こえる。
 少女はステンドグラスを一瞥すると、待ちかねたように待合室の外へ出た。
 
 
 自分で選んだ道をずっとずっと辿ってきた。
 引き返しているのではなくて、もう一度、違う目で同じものを見るためにだ。
 そして、彼の待つあの場所に帰るために。
 
 ソルの時計は、ゆっくりと時間を刻み続ける。
 
 
 
   **
 
 
 
 たたん たたん たたたん
 青い空と枯れた地平、遠くに見える青い線のような海ばかりの初夏の風景は、寝台列車の旅二日目の今日も変わることが無い。
「こんにちわ」
 食堂車に人の姿を見つけて、黒髪の少女――ソル=ブライトは声を掛けた。南へ向かうこの列車に、自分の他に乗客が居るとは思っていなかったから、多少驚いたのもある。でも何より、その人が自分と同じくらいの年の女の子だったから。
「どこのお嬢様が、こんな不毛の大地横断列車に」
 この世の終わりのような顔をした少女は、窓の外に向けていた顔をゆっくりとソルに向けて、驚いたようにその大きな瞳を見張った。
 彼女はゆるゆると波打つ陽の光のような金の髪を結い上げて、瀟洒な花飾りで留めていた。着ている物も上質の絹の一揃えで、人目でいい家柄の娘だとわかる。ティーカップを持つ指もとても白く細い。
「好きで乗っているわけじゃないわ」
 少女は憮然として答える。訊かずとも、ここに居るのが彼女の本意でないのはすぐに見て取れる。ソルはそうでしょうねぇ、と笑ってから、真っ直ぐに彼女を見つめて、名乗った。
「あたしは、ソルよ」
 あなたは?と訊かれて、金の髪の少女は窓の外を見つめたまま静かに答える。
「わたくしはロゼッタ…ロゼッタ=クオーツ・オブ・サンルメール」
 ロゼッタの淡い淡い空色の目は、引き離された故郷の青い都を地平の果てに探していたのだった。
「へぇ、それじゃ大貴族のお姫様だぁ。でもどうしてこんなところに一人で?」
 ロゼッタはいいえ、と首を振る。
「…一人じゃないわ。向こうの車両に護衛と女官が」
「随分と物々しいのね。この先に、用事が?」
「…座って、ソル。少し話をしましょう」
 ロゼッタは、何かほっとした気持ちで、自分より少し年上らしい、青い目の少女を見つめる。
「それじゃ、お邪魔しようかな」
 すとん、とロゼッタの斜向かいに腰を下ろすソル。
「この先はアイツオフィア。黒い蛮人の住む最果ての国……わたくし達の都に血を流した、酷い国」
 ロゼッタはソルの目を見つめながら、静かに静かに続ける。口に出すだけで、一層現実味が増すのは何故だろう。そしてそれは、きっと嫌な事ほど著しい。
「わたくしは、アイツオフィアの王子に嫁ぐの」
 誰かに吐き出したかった、静かな絶望。
 婚約者の名を呟くロゼッタの瞳は憎々しげに翳っていた。
 今日の昼食のグラタンをたらふく食べながら、いい気分で世間話でもしようと思って声を掛けた筈のソルは、突然の重々しい雰囲気にぽかんと口を開けながらも、ロゼッタの話に耳を傾けた。
 
 
 
 
 

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