ロゼッタの汽車
02
  
 
 
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「ロゼッタ、大事な話がある」
 そう言って、父が彼女を学院の寄宿舎から呼び戻したのは、彼女が十八になった春――三ヶ月ほど前のことだ。
「お前の伴侶が決まったよ」
 サンルメールでは子供の結婚相手は親が決めるものだ。ロゼッタもそこに疑いを抱いたことは無い。
 大公家の流れを汲む貴族の娘である母と、一代でその財を築いた才覚ある商人である父の間に生まれ、十分過ぎるほどに愛されて育った彼女は、父母が娘に不幸の種子を決して近づけないことを知っていたから。
「私の敬愛する友人の息子、アイツオフィアの王子殿下だ」
「え……?」
 ロゼッタは言葉を失った。
 聞き間違いであることを、切に願った。だけど。
「タシェリス殿下は今年二十一歳におなりだ。先日アイツオフィアから正式な書簡が届いてね。祈りの都の姫君、ロゼッタ=クオーツ・オブ・サンルメールを、第一王子タシェリスの妃として歓迎する、と」
 聞き間違えようも無い。はっきりとした口調で言う父親は、それでもどこか嬉しそうだ。
「お父様…わたくしは嫌です!侵略戦争を仕掛けてきた、南の最果ての蛮族ではありませんか…!」
 いっそ悲壮ともいえる声でロゼッタは訴えた。
 かつて何度も、サンルメールと領土を巡って戦争を重ねた国。眼も髪も肌も闇色、敵の首を狩るやら、血で壁画を残すやら、身の毛もよだつ話ばかり。
 数は少ないが、彼らの子孫はこの都にもいる。戦争で捕虜になったアイツオフィア人達は、焼印を押されて子々孫々奴隷民としての扱いを受けているのだ。
 親愛の情など抱きようも無い。戦争の時代を知らないロゼッタの世代の若者ですら、アイツオフィアの名を聞くと眉をひそめる。
 その国に嫁すなど、悪夢としか思えなかった。
「……そう思うのも無理はないかもしれない…ロゼッタ。だけどアイツオフィアはかつてのような蛮族の国ではないのだ。むしろここ百年ただただ平穏を貪っているサンルメールよりも、ずっと進んだ国だよ」
「大公家に最も近い、クオーツ家の当主が何を……サンルメールがアイツオフィアに劣るとでも?」
 取り乱すロゼッタに対して、父はどこまでも平静で。それが、彼の意図を掴めない娘を更に苛立たせる。
「わたくしは、お父様に逆らうつもりなどありませんでした!だけど…だけどこれではあんまりです!」
 結婚相手は、誰か親戚筋の者だとしか思っていなかった。だけどそれなら心の用意もできようし、少なくとも想像の範囲内では、嫌悪感を持って見るような相手はいない。だけどこれでは。
「……アイツオフィア人との婚姻と言われれば、この都の誰に聞いてもお前と同じ反応をするだろうね」
「わかっていらして、何故!」
 父はゆっくりと、諭すようにロゼッタの瞳を見つめながら、続けた。
「そうであるから、だ。誰もがそう言うから、サンルメールはアイツオフィアに劣っているのだと…そう言っても今はわかるまいね」
 ロゼッタは顔を顰めた。絶望で頭がガンガンする。
 わかりたくもない。何を言いたいというの?
「決めたことだ。私はね、ロゼッタ。お前をこの小さな都から、もっと広い世界に送り出したいのだよ。行って、見て、話をすれば、私の言うこともわかる筈だ。それに――…」
 父は、微笑んで続ける。
 しかしその言葉は、ロゼッタの心の上を、無感動に通り過ぎただけだった。
 
 
 
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「わたくしは最後まで拒んだけれど、お父様もお母様も考えを変えては下さらなかったのよ」
 母は、こんなとんでもない縁談に反対してくれると思っていたのに、まるで正反対。
 信じていた全てをなくしてしまった。
 そう、ひとしきり話し終えたロゼッタは、目を潤ませながら憤慨している。
「…やっぱりあるのだ、親が決める結婚って?」
 話の途中でコックが持ってきた野菜のグラタンをつつきながら、ソルは尋ねる。
「サンルメールでは、それが普通よ」
「しかも適齢期が二十歳まで?あ…あたしやばいんじゃ」
 ソルは膝にのせたトランクに帽子をばふばふと叩きつけた。そういえば昔、十五の成人式のその日に結婚する部族の集落とか、生まれたときから将来結婚する相手が決められている村も通ったっけ、と思いながら。
「ソルは幾つなの?」
「こ、今年で二十歳」
「そうなの?同い年くらいだと思っていたわ」
 ロゼッタが意外そうに言うので、それはそれで少なからずショックを受けるソル。フォークを咥えたまま、溜め息を落とした。
 まぁ、自分が歳より幾分幼く見られがちなのは知っているのだけれど。
「……!」
 そのとき、ガチャン、と音を立てて、ロゼッタがカップを置いた。見開かれた瞳には恐れの色。
 自分を通り越して背後に向けられた視線を追ってソルが振り返ると、食堂車の入り口に背の高い青年が立っていた――白のターバンから、褐色の肌と黒髪、そして黒檀のような多少きつい瞳が覗いている。端整な顔立ちの、アイツオフィア人だ。
 ロゼッタは身体を強張らせた。都の奴隷民とは違う、堂々とした態度の青年は、悠然とこちらに歩いてくる。
「待て、こちらの車両には…!」
 その後を追うように、がっしりとしたサンルメール人の女が入って来た。ロゼッタの護衛なのだろう、とソルは見て取った。彼女は威圧的に、青年を追い出そうと声を荒げる。
「俺は食事をしたいだけなのだが」
「もう暫く待てといっている!」
 怒鳴る女に、青年はさすがに不快そうだ。
「…どこの姫君か知らんが、俺は都に帰れば婚礼が待っている身だ。他の娘にちょっかいを掛けるような酔狂じゃない」
「……タチアナ、お止めなさい」
 尚も女が青年に食ってかかろうとしたその時、ロゼッタが静かに立ち上がって彼女の護衛をたしなめた。
「しかし、姫様!」
 護衛の女、タチアナの目は、ロゼッタにアイツオフィア人のこの男を近づけたくは無いという意思を、ありありと映し出していた。
「わたくしは、平気よ……。大変失礼致しました、お許しください」
 いっそ機械的と言っていいほど淡々とロゼッタは青年に頭を下げた。ここでもめて、逆上でもされたらかなわない。
 その指先が震えているのを、ソルはマカロニを弄びながら黙って見ている。
 青年は、溜め息をついて首を横に振った。
「…別に構わないが。怪しい者ではないから、食堂車には通して貰いたい」
「タチアナ、わかったわね」
「…はっ」
 短く答えて、タチアナは納得がいかなそうに隣の車両に戻っていった。
 青年はゆっくりとソルとロゼッタの横を通り過ぎて、それから振り返ってぼそりと呟いた。
「……ところで」
 びく、と再び身体を竦めるロゼッタと、無視してグラタンにがっついているソル。
「お前はどうしてここにいるんだ、ソル=ブライト」
 
 
  
 
 

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