はじまりの街
02
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ルネは夜闇の中のさらに影の中を縫って歩く。 路地の奥の奥へと分け入っていくと、突如開けた空間に、大勢の人影がある。 反議会派組織『青い鳥』、その若者達の集まりだ。一人が、ゆっくりと歩くルネに気付いて、怒鳴った。 「おい、ルネ!遅いんだよお前はよ。いつもいつもふらふら道草こきやがって」 「ギア、声でかい」 「お?おお、悪ィ。って、何で俺が謝んなくちゃなんねぇんだコラ!」 柔らかい黒髪に緑の少しタレた目。浅黒い肌のギア=ウインストンの声は、街の隙間で殊更よく通った。彼の母親は劇場の人気歌手だ。彼自身もよく酒場で小金を貰ってはその天賜を披露している。 「ごめん、ちょっとソルに会ったもんだから」 「ソル?おまえ、まだあのクソ議長のとこの小娘と会ってんのか。やめろって言ったろ、敵だろが」 ギアは口が悪く手が早く、喧嘩っ早くて酒癖も悪い。意外にも女に対しては結構潔癖なのだが、それを差し引いても余りあるぐらいに口が悪い。熱しやすく直情型のギアと冷静でのらりくらりしたルネは、これで結構いいコンビだ。 ルネは微笑った。 「あの子は、向こうの人だけどちょっと違う」 ギアは要領を得ない様子で首を傾げ、唸る。 「……どーゆーことだよ」 「どっちかって言うと、オレ達に近いようなニオイが」 こんなのおかしい、といつも鼻から溜め息を落とすソレイユ。 議長のネイズのやり方に、心から賛成しているのは幾人居るのだろう。彼のもっとも近しいものである娘までも、そこに疑問を抱いているというのに。 それでもここ数年、議会派と市民派の勢力は変わらない。ギリギリの緊張状態を維持している。耐えかねてか、彼ら『青い鳥』の仲間は、近いうちに行動を起こすことを計画していた。 「はぁ?」 ワケわかんねー、と口を尖らせるギアを、宥めて黙らせてからルネは満場の青年達に声をかけた。 「なぁ皆、ちょっと相談したいことがあるんだけど」 ざわ、と人の輪がこちらを向く。ルネの羽織る薄紫の長布が、昇り始めた月の光に照らされて、まろやかに光った。 彼女の居場所はあそこじゃない。 だったら、攫ってしまえばいい。 **** 日付が変わる頃。 コン、と窓を叩く音がした。ソレイユはむくりと身を起こす。ここは三階だ。窓を叩くなんて出来るわけがない。 目を擦りながら裸足で窓辺に行き、分厚いカーテンをめくりあげると、一羽の白い鳩が窓枠に止まって開けてくれと言うようにガラスをつついていた。よく見ると左の羽に、青い三日月の染め抜き模様がある。 (ルネの伝書鳩だ) ソレイユは慌てて窓を開ける。鳩が通れるくらいの隙間を開けてやると、有能な伝書鳩ディアナは、静かな羽音を立てて部屋に入ってきた。 「…手紙?」 首に掛けられた銀の筒から、細く丸められた紙片を取り出す。昔下町に住んでいた時から、ルネが伝書鳩を使っているのは知っていたが、ソレイユに手紙をよこしたのはこれが初めてかもしれない。物欲しそうなディアナ嬢にビスケットを一片あげてから、手紙を広げる。 紫のインクが、月の光に浮かび上がった。 ――ソル、こんばんは。 思いのほか几帳面な冒頭に吹き出しながら、ソレイユはベッドに戻り、腰掛けて続きを読む。 初めの数行を読んで、ソレイユは固まった。
(あたしが、『青い鳥』に?) ソレイユはぱさり、と紙片を取り落とした。 自分と父は違う人間。それはちゃんとわかっていることだ。 だけど、父と敵対するようなことは。 それはしたくないとも思う。 だけど、父の考えは理解できない。 父と自分が違うなら、考えが違うのも道理。 だけど、だからといって弓をひく勇気は? (そんな…こと……) ソレイユはキリ、と拳を膝の上で握る。 ――何が君の望むことか、どこが君の居たい所なのか、考えてみて。 ルネ。 父さん。 ……ルネ。 あたしが居たいのはどこだろう。 あたしがしたいことはなんだろう。 あたしの意見はなんだろう。 あたしの心は、どこにあるのだろう。 それがわからなければ、本当に選ぶことなどできはしないのだと、今更ながらに悟った。 クッションを抱き締めたまま、ソレイユはずっと窓の外の月を見つめていた。 頭の中では、たくさんの言葉が円舞を踊っている。 決めるのも選ぶのも、決して簡単なことじゃなかったのだ。 |