はじまりの街
05
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******* 一部始終を、同じ喫茶店の隅から見ていた二人の男がいた。 一人は、ピンク色の髪に琥珀色の瞳、極彩色の服を着た青年。もう一人はそれとは対照的に黒髪を短く切り揃えた、背が高く多少手足を持て余し気味の青年だ。 「カーよぉ、なんか雲行き怪しくね?」 「そうっすねー」 派手な方が、黒髪の方に問う。緑のスカーフを首元で縛った長身の彼は、よくわかっていなさそうに相槌を打った。 「どーすっかなぁ……」 「ボス、まずは様子見ッしょ」 ボスと呼ばれた、まるで鳥の巣のようなピンク頭の男は、髪を掻き毟って連れの青年に命じる。 「カー。できれば見張れ」 「ん、できるだけ」 二人は至極不真面目に、ロウミュラの市街に消えていった。 ソレイユ=アーテンサイアね。と、極彩色の男は口元に手をあてて、唸る。 「おもしろいかもしんない」 ******** 三人の女と一人の女装男が、小走りに路地裏に駆け込んだ。 「やった?」 「やりましたよ!」 「大成功じゃん☆」 ソレイユがシイとコットンに聞くと、二人はキャーッと歓声をあげて手を叩いた。 「マグダラは?」 「おい……」 「先に戻っていますよ。行きましょうソレイユ」 シイがにこにこと笑う。ソレイユはホッとして、息をつく。 「おい、ソレイユ=アーテンサイア!」 ギアが怒ったように怒鳴った。顔が真っ赤だ。 「へ?」 「いつまで手ぇ掴んでやがる!離せ!」 「あ、ごめんなさい」 ソレイユは漸く気付いて、先程からずっと握り締めていたギアの手を離した。酷くうろたえたような彼を見て、ソレイユはきょとんとして尋ねる。 「どうしたの、ギア、疲れた?」 「……くそっ」 ギアは吐き捨てて、どかどかと先に立って歩いて行ってしまった。もう女には見えない。 「ギア、ねぇ、どうしたの」 「うるさい!」 とてもじゃないがこの服と靴では追いつけない。 シイとコットンはクスクスと笑っている。 「えぇ?」 「ほっときなさいね」 シイがのんびりと笑った。 「ねぇ、そうだルネは?」 「彼なら」 「あの昼寝ジジイなら『天河亭』だ!俺は着替えてから行くから、先にその女連れて行け!」 道の先から、ギアが怒鳴った。 「ねぇ、ギア、怒った?」 「んーん、ギアくん今思春期なのです」 ソレイユは首を傾げる。 とりあえず、とコットンに向き直って、申し訳なさそうに一言。 「あたしも着替えたい……」 マグダラはとてもスタイルがいいから。 「ルネ!」 天河亭は裏路地の奥にある。 市民派の組織、『青い鳥』の面々が集まるのが、この宿食堂である。喧騒の中で、すっきりとした白のシャツに藍色のフレアースカートに着替えたソレイユは、すぐにいつもの長布を被ったルネの姿を見つけた。 立ち上がったルネに、ソレイユは駆け寄った。ちょっと涙が出そうだ。 「ソル、大丈夫?」 「うん」 決めたんだね、とルネはソレイユの頭を撫でながら微笑む。 「……うん」 丘の上の高級住宅街は、自分の居場所じゃない。 美味しい物は好きだけど、あんな世界じゃ味がしない。自分に何ができるのかはわからないけれど、少なくともここにいるのは、ただ流された結果じゃない。 心残りはあるけれど、後悔は――無い。 「決めたよ」 「お父さんは昔とは違う世界に行った。君はここに戻ってきた」 ソレイユは笑った。 「じゃあ、ただいま、だ」 「おかえり、ソル」 優しく言うルネに、ソレイユは思い出したように尋ねた。 「ルネは昼寝ジジイなの?」 「誰がそんなことを」 そう言いながらもルネはわかっているようだった。 「ギアって人が」 「ひとつ俺より年上のくせになに言ってんだあいつは。ソル、気を付けなね。ギアは酒乱ジジイだから」 嬉しそうにそんな風にルネが言うので、ソレイユは二人は仲良しなのだと納得した。 「今晩、オレ達のリーダーに紹介するよ」 夜が来る。 ********* 酒とスパイスの匂いが店中に充満する。かちゃかちゃと食器の触れ合う音と、人々のざわめき。 「覚悟は」 そんな中、『青い鳥』の首領、『ダイヤのジャック』がソルを見つめて、低い声で聞いた。四十代後半の、温和だが知恵の光る眼の男性だった。 「あるつもりです。少なくとも、あたしは自分から父の庇護を離れて、道を選びました」 「俺達はお前の父を殺すかもしれんぞ?」 「………」 それでもか、とジャックは目で問う。 椅子に座った彼と、その前に立つソレイユ、少し後に立つルネを、天河亭の面々が固唾を飲んで見つめている。 「その覚悟は、できません。だけど、父は間違ってると思ったから。あのままあそこにいるのが耐えられなかったから」 ソレイユは緊張した面持ちで、ジャックの深い瞳を真っ直ぐに見る。 「逃げか」 「違います。逃げるつもりなら、ロウミュラを出て行きました」 この争いから目を逸らして、待てばよかった。 だけどソレイユは『青い鳥』に来た。 「あたしは、あたしにできることを探したい」 「ふん…いいだろう」 ジャックは後ろで控えていた老人に、革表紙の本を持ってこさせた。 「お前の名前は」 「ソレイユ・ブライト=アーテンサイア」 ジャックは本を差し出した。 「ソレイユ・ブライト=アーテンサイア。この一条を守れるなら、お前を仲間と認めよう。自由の青い翼を求めて仲間の誓いを立てし者、決して同胞に背を向けるなかれ――信頼には信頼を。信念には敬意を。裏切りには死を」 老人がペンを差し出す。ソレイユは本とそれを受け取った。 「誓えるか、思いを曲げず、仲間に誠意を尽くすと」 ジャックが睨む。ソレイユは小さく深呼吸して、頷いた。 「…うん」 「なら、名前を書け」 ソレイユは、そっとペンを走らせた。 黒の線が流れる。 顔を上げた彼女は、真っ直ぐにジャックの目を見つめた。しばし視線が交錯する。 ジャックは、ふ、と目を緩めて笑った。 「いい目だ」 「はぁ」 緊張していた場の空気は、その言葉にどっと緩んだ。天河亭に集まった者達が、自分達の時間に戻ってゆく。 「面倒はルネが見るようにな。お前んとこのアパート部屋空いてるだろ。…ブライトってのは?」 ジャックが思い出したように問う。 「ソルの母上の旧姓ですよ」 答えたのはルネ。 「じゃあお前は、今日からソル=ブライトと名乗れ。本名のままじゃまずいだろう。偽名というわけでもないし」 ジャックが微笑む。ルネがそっとソレイユの手を引いた。ジャックの前から、食堂の真ん中に連れて行く。 「誓いを立てた。ジャックが認めた。ソル=ブライト――彼女は仲間だよ、皆」 反応は様々だった。 面白くなさそうな顔をしている者。 何か考え込んでいるような表情の者。 パチパチと、拍手をしている者。 酔っているやら食べているやらで話を聞いていない者も多かったが、数人はソレイユの傍までやってきて自己紹介をした。 その中には、中年女の化粧を落としたマグダラや、コットン、シイの姿もある。 食堂の入り口で、仏頂面で立っているギアの姿を見つけたソレイユは手を振ってみたが、黒のタンクトップに着替えた彼は、嫌そうな顔をして出て行ってしまった。 「あれ?」 「どうしたの」 「…ううん」 ルネを見上げて、ソレイユは笑った。少しだけ、切なそうに。 「よろしく」 「よろしく」 ルネはソレイユを見つめて、同じように笑う。 もう戻れない。 でも後悔はしたくない。 自分で決めたことだから。 もう戻れない。 ならばこの手で守るだけ。 無力かもしれないけど、それでも。 ソレイユの、ソル=ブライトとしての新しい生活が、今日から始まる。 |