はじまりの街
06
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********** 「何でお前がここにいる!」 「だって、ギアの部屋とジャックがあたしに使えって言った部屋、続き部屋なんだもん。あたしの部屋キッチンないし、ルネ朝は寝てるし」 ソルは、あっけらかんとした顔で、ギアの部屋で牛模様のエプロンの彼が作ったオムライスを頬張った。 「ギア料理上手いね」 「うるせー。…ったく、モラルね―のかおっさん…おふくろもあんなタヌキオヤジのどこがいいんだか」 ギアは悪態をつきながら、ドンと野菜のスープをソルの前に出して、溜め息をつく。 「ホレ、食え」 「おかあさん?」 「ダイアモンド=ウインストンだ。中央劇場で歌ってる。見たことあんだろ、親父と一緒に」 ソルは知ってる、とスプーンを咥えたまま頷いた。一度、父とその部下と一緒に、彼女の舞台を見たことがある。美しい人だった。 「ジャックの恋人」 「じゃあジャックはお父さん?」 「いや、俺は父無し。私生児だから」 ソルはぽかん、とギアを見た。なんだか、自分の倫理観が信じられなくなる。 ずず、とスープをすすって、とりあえず笑った。 「ギア、いい人だねぇ」 ギアは物凄く嫌そうに、全身の毛を精一杯逆立てて怒鳴った。 「わっ…わけわかんねぇ事言ってんじゃねー!飯食ったらさっさと出てけ!」 「えー。ねぇギア、料理教えてよ」 「やなこった!マギーに聞け!」 結局、ソルは追い出された。 「ホントに、切っちゃうのぉ?」 「うん」 コットンは勿体無さそうにソルの髪を一房掬い取る。 「折角綺麗な髪なのにぃ。じゃあ切るね」 しゃく、と彼女は鋏を入れる。一回音が響く度に、頭が軽くなった。 腰まであった長い黒髪を、背中の真ん中にまで切って貰う。 しゃく、しゃく。 ネネが誉めてくれたサラサラの髪。 ネネは心配しているだろうか。 さようなら。 「ありがと、コットン」 夜の星空が広がる頃。ソルはルネの部屋で、ごろごろしながら本を読む。 「面白い?」 「うー」 くすくす、とルネは笑う。 ソルは本を抱えたまま、眠り込んでいた。 「風邪引くよ」 ベッドに腰掛けて、細い身体に毛布を掛けてやると、ソルは幸せそうに笑った。 「…いつまでたっても、オレは普通のままだねぇ。ソルはどんどん綺麗になって、強くなって、皆の特別になるのに」 ルネは苦笑する。まだほんの小さい頃、ずっと一緒に過ごしたのが遠い昔のようだ。 どこに行く時も、ルネ、ルネと後をついてきた小さなソル。大切な、大切な女の子。 できれば、ソルの特別で居たいんだけど。 「今は、どんな気持ち?ソル。ご飯は美味しい?」 今まで味わえなかった自由を、大切にして。 ソルは、オレが守るから。 「結構楽しそうですボス」 「んー…なんも起きなきゃいいんだけど、な」 ピンクと黒の頭が夜風に揺れる。 「さて、そう上手くいくものか、どうか」 何も動かずに、ただ穏やかに過ぎるだけの日々ならば、何の問題もなかった。 だけど、ロウミュラの街の緊張はまだ続いている。 張り詰めた糸がどんな音を立てて切れるのか、まだ誰も知らないけれど。 糸が切れることだけは、わかっている。 ***********
ソルはマグダラ達と一緒に、昼間は街の孤児や家の無い者に配給する食事を作ったり、老女達に教わって子供達の服を作ったりしながら、それからの三ヶ月を過ごした。 公安局が彼女を探す様子は無くなった。多分、机の書き置きをネネあたりが見つけたのだろう。 ルネは昔と代わらず優しくて、日が暮れてからソルが眠るまでの時間を一緒に過ごす。ソルが来てから、多少活動時間を昼間にずらしたようだとジャックが言っていた。 ギアは相変わらず口が悪く、ソルを邪険に扱うが、どういうわけかいつも黙って料理を食べさせてくれた。つい最近、彼の母のダイアモンドにも一度会った。彼女は息子を見てニヤニヤと笑い、ソルの額には華やかな笑顔でキスをした。 ソルより少し前にやってきたという、ダグラスという青年が、時々意味深にソルの方を見ているのに気付いたのは、ルネだった。そのことを聞いたらしいギアが、怒ったように忠告に来た。けれど、ソルには、彼をどこかで見たような気がしてならない。 それから幾人かの他の人たちとも仲良くなって、仲間の仕事を手伝わせて貰うようになる。 「この娘は働きもんだよ」 ――父親と違って。 その裏には、概ね父への非難が含まれていたのだったが。ともかく、一部の者達はソルを受け入れてくれ始めた。 そんなある日の夕方。 天河亭で、ジャックを囲んで数人の男達が深刻な顔で話をしていた。 「ジャック、シーリア通りの仲間が全滅だ」 「公安が来た。いきなり煙玉で、一網打尽らしい」 「カードさんとユイ姐さんも捕まった」 ソルとルネが、食事をしに入ってきたとき、丁度ジャックが立ち上がって言った。 「……こっちも動くぞ」 おう、と喚声が上がる。その場に居た男達が、怒ったような顔でばたばたと出て行った。 「…何があったの」 「大丈夫、心配ないよ」 ルネは穏やかに、だが明らかに誤魔化すように言った。ソルは食い下がる。 「嘘。あんなに怒ってるジャック見たこと無いもの。何かあったんでしょ?」 「…ソルは、知らなくても…いや、それじゃ今までとおんなじだもんな。ちゃんと聞こう、何があったか」 一人の仲間だ。知る義務と、選ぶ権利がある。 心配しないで、と言われて真綿に包まれていられたのは、丘の上のお嬢様だったときだけだ。 行こう、とルネはソルの手を引いて、口の端を怒ったように引き結んでいるジャックの傍へ行った。 「ジャック」 「…ルネにソルか」 「何があったんです」 「シーリア通りの、カードのアジトがあっただろう。あそこがどういうわけか見つかってね」 カードはジャックの右腕で、とても用心深い男だ。渋い顔のジャックに、ルネは驚いたように聞き返した。信じられない、という様子で。 「カードのアジトが?本当に?」 「……報復に出る。今夜はシーリア地区の警戒が強くなるだろうからな…正反対のタツマ地区の公安駐在所を狙う」 そう離している間にも、武器を持った男や、動きやすい服装に着替えてきた女達が、あわただしく出入りしていた。 「ルネ、決行は今夜だ。お前も来い」 「はい。…ジャック、ソルは」 む、とジャックは困惑した表情のソルを見て、 「まだ酷だ。今日は残ったほうがいいな」 と言った。 「家に戻る?ここで待つ?」 「ここに居るわ。……ルネも戦うの?」 うん?とルネは笑う。 「戦うって程の事はできないんだけどね。俺は何の武術も習ってないし。でも心配しないで、ちゃんと戻ってくるから」 「うん。気をつけて」 「おいルネ、行くぞ!」 店の入り口から帯剣したギアが叫んだ。彼は円月刀の達人なのだと言う。 「今行く」 「ギアも、気をつけてね!」 ソルが大声で言うと、ギアは一瞬戸惑ったような顔をしてからソルに背を向け、今日はバカヤロウとも言わずに黙って手を振った。 ルネはいつもの優しい笑顔で手を振って出て行く。ジャックも立ち上がって、無言で天河亭を後にした。 一気に人気が無くなる。 「あれ。皆さん何処へ行かれたんです?」 女子供ばかりの、人影まばらな天河亭に、ひょっこりダグラスが姿を現した。薄笑いの張り付いたような、青白い男だ。 「皆はタツマ地区に」 厨房の女が怒鳴った。 「タツマ地区?公安に報復するんじゃないんですか?てっきりシーリア地区かと」 「警戒が厳しくなってるからね。ジャックは裏をかくつもりさ」 「…なるほど」 ダグラスは微笑んだ。その爬虫類のような笑顔を、見たことがあるような気がソルにはする。 「あんたは行かなくていいのかい」 「行きますとも。これからすぐに、ね」 そう言って、ダグラスは足早に出て行った。 夜の天幕が巡る。今夜の月は明るい。 |