はじまりの街
07
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************ 報復は、失敗に終わった。 なぜか常駐の三倍の戦闘部隊が待機していて、様子を見に行った『青い鳥』の先発隊が、全員捕縛された。その中にはマグダラもいた。そして、捕まった十人のうち激しく抵抗した六人が、その場で射殺された。 ジャックは残ろうと粘ったが、追撃がかかったためにやむなくその場から逃げた。 六人の無残な亡骸と、マグダラを含む、四人の囚われた仲間を、その場に残して。 「……そんな」 ギアは放心したように呟く。 「俺達の行動は早かった。普通に考えれば、備える暇なんてありゃしねえ」 壮年の男がギリ、と奥歯を噛み締める。 「何故タツマだとわかった?シーリア以外の駐留所は他にも山程あるのに」 「おかしいぞ、ジャック」 「おかしい…」 みな、口々に呟く。不可解だった。 『青い鳥』の動きが読まれている――しかも、驚く程の速さで。 ジャックはチッ、と舌打ちをして、空を睨んだ。 「……内通者か」 「ルネ=セブンス?」 その帰り道、ルネはピンクの髪に派手な服装の、奇妙な男に声を掛けられた。一瞬警戒したが、どう見ても議会派の人間ではない。 「何か?」 「ソレイユ…いや、ソル=ブライトの事でちょっと」 ルネはぴく、と眉尻を上げて男に向き直った。 「どういうことですか」 「あの子を『青い鳥』に誘うべきじゃなかった」 男は歌うように言った。 「彼女が危ない」 「あの小娘が…」 「あいつしかいない、初めからそのつもりだったんだ」 「ミシュレとルシオが殺された!」 「あいつだ」 「あいつだ、ソルが」 「いや、ソレイユ=アーテンサイアが」 引き金は小さな音を立てて、弾かれる。それがソルに対する疑いの念や、議長の身内ということに対する根強い嫌悪が、爆発するのにはそれで十分だった。 「皆、違う!」 天河亭に戻るなり、テーブルで眠り込んでいたソルを乱暴に起こして問い詰める男達を、ルネが必死に制止した。 「何の証拠があるんだ?」 「証拠なんて必要ねぇ、この小娘はあのネイズの娘だ!スパイじゃないほうが不思議だろうが!」 「ま、待って。あたしと父さんはもう関係ない!スパイですって?ねぇ、ルネ。皆何の事を言ってるの?」 熱いレモネードを飲んで、うたた寝していた所を起こされて、ソルには何がなんだかわからない。 「タツマ地区で待ち伏せにあった。六人殺されたんだ…マグダラも捕まった」 「皆お前が議会派のスパイだって言ってんだよ!」 人ごみを掻き分けて、ギアがソルの前までやってきた。こんな風に、憎々しげにギアに睨まれたのは初めてだった。いつもはただ、面倒くさいから遠ざけようという感じだったのに。 「ギア!」 「ルネ、お前も騙されてんだよ!」 「待って、ギア…」 ソルは途方に暮れたようにギアを見た。 「あたし、もう向こうとは何の関係も…つッ!」 ――ぱしん 「やめろ、ギア!」 ギアが、ソルの頬を平手で張った。いつもとは違う、何か傷付いたような表情で、怒鳴る。 「無害で、人なつっこくて、お人よしなのも、それ全部演技か!俺達を油断させて、信用させて、情報引き出そうって魂胆か!大したもんだな、ソレイユ!」 ソルは、打たれた頬を抑えることもせずに、呆然とした。 ギア達の言葉が頭の中で円舞を始める――結局、ここにもあたしの居場所は無いということ? ジンジンと頬は痛むけれども、今言われた言葉ほど胸を傷つけはしない。 演技だったなんて、そんなこと。 「あ……」 ギアが、ハッとして息を呑んだ。 ぽた、ぽた、と、天河亭の木目の床に染みが落ちる。 ソルの真っ青な両眼から、涙が滂沱と溢れていた。 幾筋も、幾筋も。 「わ……」 悪い、とでも言いかけたのだろうか、ギアがうろたえたように手を差し伸べようとした時、ルネが間に入ってソルを庇うように立った。 「ソル…ソル。大丈夫だ、大丈夫だから」 ソルは涙の止まらない瞳で、それでも背筋を真っ直ぐ伸ばして前を見つめていた。 前を見るのをやめてしまったら、止め処無く泣いてしまいそうで。 「あたしは、平気」 一言だけ、答えた。 「ジャック!証拠が無い」 ルネが怒ったように言う。ジャックはふー、と息をついて辺りを見回した。 「誰か、何か見たか」 「ソルはずっとここにいました」 「外には出てないわ」 「おしゃべりしたのも、あたし達食堂の者と残ってた仲間だけさ」 髪結いのコットンや化粧師のシイ、天河亭の女達が口々に言う。男達がチッと舌打ちを漏らした。 「……確かに、外部に伝えることはできそうに無いな」 ジャックは唸った。 「だがこういうことになった以上、今までのままと言うわけにもいくまい?」 「どうするんだ」 「ジャック」 黙れ、と噛み付きそうな勢いの男達――おそらくは、殺された六人の誰かの身内なのだろう――を宥めて、ジャックの目は細まる。 「証拠が無いな…死罪にはするまい」 「甘い!」 「黙れと言っているだろう!」 その語気は荒い。ジャックも、ソルを睨みつけた。 「出て行け。お前は除名だ」 ソルは、かつて仲間の誓いを立てて名前を書いた日と同じように、真っ直ぐにその視線を受け止める。 「命は取らない。丘の上に帰れ、お嬢さん。元々あんたと俺達では、生きている場所が違いすぎる」 ソルは、俯いて頷いた。 とても、重苦しい気持ちだった。 「…わかりました、ジャック。皆も。お世話になりました」 一礼して、辺りを見回す。 親しんだ顔が幾つも、気まずいような顔で視線を逸らした。ギアはそっぽを向いたままだ。そして、最後に視線が行き着く先は、悲壮な顔をしたルネだった。 「さようなら」 「ソル!」 ルネの声が追いかけてくる。 それには応えず、ソルは天河亭を出て、二度とそこに立ち入ることは無かった。 涙はもう止まってしまった。流れることを拒むかのように。ソルは走り出した。 どうして、信じてもらえない? 結局、どんなに頑張っても、あたしは父さんの娘だから?敵だと。そういうことなのだろうか。 「どこに…」 何処に帰ればいいのか、もうわからない。総てを捨てて出てきたから。 家には帰れない。アパートにも帰れない。 ギアに叩かれた頬が、今更のように熱を持ち始めた。 「ソル!」 ハッとして振り返ると、ルネが店を出て走ってくるのが見えた。ソルは、泣きそうな顔で微笑むと、ルネから逃げるように路地の隙間に駆け込んだ。夜闇が少しは姿を隠してくれる。 ルネ。 ルネ、ごめんなさい。 ありがとう。もう、いいから。 もう、優しさは、抱えきれないほど貰ったから。 |