はじまりの街
08
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************* 「ソル?」 ルネは路地に消えたソルを探したが、ついに見つけることができなかった。
「…こんなことになるなんて」 「言っただろ…」 後から掛かった声に、ルネは驚いて振り向く。 「さっきの…カーさん」 「彼女を引っ張りまわすべきじゃなかったんだ」 ゆっくりと歩いてきた緑のスカーフの男は、気の毒そうに言った。 「だけど…ソルはそれを望んだ。彼女は楽しそうだった!」 「そうだけど。だけどあの子はこれから、望んだことの代価を払わなくちゃならない」 「巻き込んだのはオレです!」 ルネはムキになって反論する。ソルにどんな罪がある?彼女は、ただ選んだだけだ。 「…払うのは、彼女だ。他の誰でもない」 スカーフ男の後から歩いてきた、もう一人の男――ピンクの頭に極彩色の服を着た、南国の鳥のような――が静かに言った。 「…だけど」 ルネは唇を噛んだ。 彼女を誘ったのは自分で、こんな時に追いかけることもできなかったのも、自分だ。 「ソルは縛られていたものから、抜け出したかっただけです。それがいけないと?それすら許されないって言うんですか!」
「落ち着け、ルネ」 極彩色の男はルネを宥めて、溜め息をついた。 「悪いことなんかじゃない。だけどソレイユには背負った物が多すぎた。ソルになるだけでも、この有様だ」 「なのに、代価を負えって?理不尽だ!」 ソルは丘の上にいたときですら、敵じゃなかった。天河亭に来てからの彼女は、尚更だ。 まして、内通者などであるわけが無い。 「…助けたいか?」 「え?」 カーがボスと呼ぶその男は、不思議な琥珀色の目を不機嫌そうに細めて続けた。 「あの子は多分、議会派からも追われるぞ。予言しようか、ネイズ議長はソルを暖かく迎えようなんてしない。娘でも裏切り者だから」 「そんな」 でも、とボスは言葉を切った。意味深に、笑う。 「俺達なら、逃がせる」 この街から、広い世界へ。と、彼は言った。 「もう一度聞こう、ソルを助けたいか?」 ルネは、ボスの深い琥珀の瞳を、真っ直ぐに見つめる。こういうところが、ソルとルネは似ている。男の真意を掴みかねながらも、短く応えた。 「はい」 「誰かが幸せになれば、誰かが不幸になる。誰かが助かれば、誰かが苦しむ。ソルが逃げれば、お前は捕まるぞ。それでもか?」 カーが、心配そうに二人のやりとりを見守っている。 ルネの心をよぎったのは、ソルの目に涙をいっぱいにためた微笑だった。あんな顔を、させたくは無い。 自分が捕まるのは、構わないと思った。 「ソルがまた明るく笑えるのなら」 二人の男は、頷いて去った。 「時がきたら、また」 そう、言い残して。 結局、ソルが幸せなら、他の何もかもがどうでもいい事に、ルネは気付いた。 「歪んでるかな」 でも、初めから一番大切なのはソルだから。 逃げて。 この街のしがらみから逃げて、世界を見ておいで。 世界が君に見せてくれるものは、きっとずっと豊かな色をしていると思う。 逃げていいんだ。 君がまた笑ってくれるなら、囚われの身なんて苦にはならない。 ソル。 次の日。
公安の巡査が路地の隅で膝を抱いて眠りこけているソルを見つけ、丘の上のアーテンサイア家に連れて行った。 「ソル嬢ちゃま!」 ネネは彼女に取りすがって泣いた。 「どの面下げて戻ってきた、この馬鹿娘が!」 父は、憎々しげに怒鳴った。 「お前は議会派の恩恵を受けながら、我らを裏切ったのだぞ。私がどれだけ立場を悪くしたと思っている!」 家に来ていた数人の議院が、もっともらしく頷いている。 「お前が情報を持ち出したおかげで、我々がどれだけの損害を受けたと思う、ソル。もうお前など、我が子とは認めぬ」 「…父さん」 ソルは、諦めた表情で父を見つめた。 「旦那様、そんな!」 ネネが金切り声を上げる。 「裏切り者ですな」 「ソレイユ様、もはや言い逃れはできないのですよ」 「裏切り者」 「裏切り者」 「裏切り者」 ソルは立ち尽くす。小声で交わされる会話の中に、何度も出てくる言葉。 『青い鳥』でも、こう呼ばれて居られなくなった。 ――裏切り者。 ネイズは、止めを刺すように、冷たく言い放った。 「お前など、もう要らぬ」 そうして、ソルは投獄された。 |