クノッソス
02
  
 
 
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「おう、いらっしゃい!」
 ソルが町の様子を見ながらぶらぶら歩いて、ようやく「いるか亭」と書かれた陽気な看板を掲げた件の宿屋兼食堂を見つけたのは、日が傾き始めた頃だった。 
「嬢ちゃん、今日付いたのか?何泊だ」
「うん。三泊位でお願い。ご飯付く?」
「朝と晩だけな。味はいいぜ」
 海の男な風貌をした、大柄な男が快活に言った。
 店主は厳ついヒゲ面の割に気さくな人柄のようだ。
「そう聞いてる。荷物置いてきてもいい?」
「おう、階段上がってすぐの角部屋が開いてる。これが鍵だ。運がいいな、一番上等な部屋だぞ」
 そう言って店主は鍵を放った。青い古びれたリボンのついた銀の鍵は、背を向けて階段に向かっていたソルが上げた右の掌に、弧を描いて落ちた。
「ありがとう。食事の時間に呼んでね」
「おう」
 階段は狭かったけれども、埃がちっとも溜まっていないのが良かった。店主は見かけに寄らず細かい性格らしい。体を斜めにしながら上り切る。
 角部屋のドアは、空色に塗られていた。剥げかかった塗装には、白い海鳥が描かれている。
 窓が二つある、本当に上等な部屋だ。白のベッドカバーとカーテン、空色のドアが、先程街道から見下ろした街の風景に重なった。
「んー、快適。部屋にお風呂付いてれば最高なんだけどなー」
 ソルは汚れた服をぱっぱっと床に脱ぎ捨てると、下着姿でベッドに身を投げ、ごろごろと乾いたシーツを堪能した。
 しばらくしてからのんびりと立ち上がって荷物の整理を始める。着替えを二着しか持っていないので、一着売って別の古着を買おうかと考えながら。
 ふと、高台で出会った奇妙な女の事を思い出す。
 もう一度窓から外を見ると、二階建て以上の建物がないリプコプの街で、あの「白い巨大な箱」が、視野の果てで海を遮った。
「…………」
 …墓標?
 というよりそれは、檻のように見えた。
 日が暮れる。
 
 
「うまーい」
 わいわいと賑やかな食堂では、泊まりの客と呑み客が入り乱れて談笑している。酒飲みの多いところからは離れて席を取った。
 ソルはパスタを頬張りながら、久方振りの、人が作った料理に静かな歓声を上げた。メニューは海鮮パスタと野菜のスープ、ライ麦のパンだ。パンをちぎってスープに浸して食べる。
「君、ここいいかい?」
 顔を上げると、人の良さそうな青年がパスタの皿を持ってソルの向かいの席に手をかけていた。
「どーぞ」
「今日着いたっていう旅行者だよね?私は昨日着いたんだ」
「へぇ。ひとり?」
「いや、連れがいるんだけど、もう出来上がっちゃって。手ぇつけられないからほっといてる」
「はは」
 そう言いながら青年は飴色の液体で満たされたグラスを傾ける。どう見ても、それは酒に見えた。
「私は酔わないからいいんだ」
 にやりと笑う青年は、グラスを置いてフォークを動かし始めた。
「君も会った?丘の上の喪服のおばさん」
「会ったよ」
「私が話を聞いた他の旅行者も皆つかまったって言ってる」
 ではあの道を通る旅行者や行商人らすべてに、この街には来ないように忠告をしていると?馬鹿げた話だが、どうやらそのようだった。
「あのひと何者なのかな」
「さあねぇ」
 海老を突っつきながら問うソルに、青年の返答はそっけない。しかしまた一口酒を含むと、思い出した風に付け足した。
「ただ、聞いた話では街中に呪いの言葉を吐いて回って、悶着あってついに追放されて、あの辺の小屋に住んでるらしい」
「はぁん?」
 …それはまた無茶苦茶な。
「それから、あの町外れのアレ」
 青年はフォークで宙に大きく四角形を描く。
「あそこに閉じ篭められてる奴の、母親だって話」
――あの子は何もしていないのに――
 喪服の女の言葉が甦る。
「それって……」
「よーう、旅人さん達!飲んでるかい?いかんなぁこんな隅っこでちびちびちびちび」
 ソルが口を開きかけた時、彼女の背後で突然赤ら顔の男が大声を出した。二人は驚いて会話を停める。
「オモムキ深く呑んでるんだよ。ご心配なく」
 青年が苦笑する。
「あ…ねぇおじさん、この街の人でしょう。だったら教えてくれない、あの白くてでかい建物と、街道の喪服のご婦人のこと」
「あぁん?」
 男がきょとんとした顔で酒の匂いの息を吐き出す。
「ああ…アレの事な。あんたらもつかまったのかい、あの婆さんに」
「うん」
「ありゃあな、化けモンの母親なんだよ。俺も良く知らないんだけどさ、ずっと北のほうから来た女で、この街で子供を産んだんだ」
 どっかと音を立てて、男は青年の隣に腰を降ろし、身を乗り出して話し始めた。
「…化け物?」物騒な単語に二人は眉根を寄せる。
「両手の指が、六本ずつあるんだよ!それに、髪の色がびっくりするほど薄い。目の色もだ。この街の人間は皆黒い髪に黒い目だろう?最初は珍しがってたんだがよ…悪魔の使いだって噂が立ってな」
 よくわからない手振りを交えて酔った男は語る。
「で、その子供にちょっとしたいじめがあったらしいんだけどよ、それに逆上した母親が相手の子供に呪いをかけたとか何とかで、実際三人くらい死んでるんだよねぇ!これが」
 男は身震いする真似をした。目は笑っている。
「で、この街死刑とかできないわけよ。できるんならそんな気持ちわりぃ奴、すぐにでも消して欲しいもんだけどよ!ぎゃははっ!」
 青年が不快そうに男を見遣る。男はまったくその下卑た笑いをやめようとしない。
「でよ、お偉いさんはな〜んにもせずにほっといたんだが、周りに住んでる奴らがどんどん引っ越してくんだと。もともと街外れだったんだが、二年で周りに家がなくなった。四年を過ぎたあたりから、近所の連中はあいつらの家の敷地を塀で囲み始めた。壁と、頑丈な扉で、囲っちまったんだ」
「…それ、何年前の話?」
「さぁな〜、十五、六年くらい前じゃなかったかね」
 男は鼻の頭を掻いて、続ける。しまりのない赤ら顔がソルには不愉快に見えてきた。
「それで、どんどん壁を足していって、今じゃ小山みたいな建物だよ。化け物が出てきちゃ困るって、まだ壁を作ってる奴もいるぜぇ」
「………」青年が無言で足を組みなおした。
「ありがとう、おじさん。もういいよ」
 ソルは興味なさそうに俯いた。
「なんだい、つれねーなぁ。もっとお話しようぜぃ」
 男がまた下品に笑い声を立てたときに、
「おーい、おっさん、そこのあんただ、あんた!向こうでお仲間が呼んでるぞ」
 別の、もっと若い男の声が酔っ払いの男を呼んだ。
「おーう」
 男は少し名残惜しそうにしながら、グラスを持って反対側のテーブルへ戻る。入れ替わりに、男を呼んだ声の主がやってきた。
「とんだおっさんと話してたなぁ」
「そいつらと一緒に飲んでいたお前が何を言うか」
「あっはっは、まーかカタい事言うなって。こっちの彼女は?」
 どうやら青年の連れらしい、ひょろっと背の高い男がにこにこと笑う。顔は真っ赤だがそれ程我を失ってるようには見えなかった。
「今日着いたっていう、自転車の彼女」
「どーも、ソルです」
 その話有名なのかな、と思いながらソルは笑って会釈した。
「ああ、壊れた自転車引っ張ってきたっていう!よろしく!俺はカーだ」
「…そういえば名乗ってなかったな。私はエカテリーナ。よろしく、ソル」
 二人は思い出したかのように自己紹介をする。ソルは目を見開いて、
「エカテリーナ、って、女のひとだったの!?」
 青年だと思い込んでいた女性を見る。
「ごめんなさいあたしてっきり」
「また間違われてるのかお前ーあははは」
 カーは馬鹿笑いした。
「いーよ、気にしなくて。私たちは爆薬の行商をしてるんだ。もし何か欲しいもんがあったら」
 エカテリーナは営業スマイルをする。にっこり笑うと妙に女の人に見えた。中性的な人である。
 爆薬の行商だなんて面妖な、とソルは密かに思い、その思いを心にしまい込んだ。とりあえずその商品について詳しく聞いてみる。
「民家を一発で吹き飛ばす火薬筒がね……いや、距離の計算は完璧で……狙いの距離との誤差〇.一パーセント以内での着火が……」
 カーがまたお前なにこんなオンナノコにー、と激しく馬鹿笑いをした。
 夜は更ける。
 
 
 喪服の女は都市を憎んでいた。
 自分の大切な者を「埋葬」した都市を。
 呪詛は限りなく凝り、墓標の壁を高くするばかり。
 
 女には、呪いの力も、救いの力もなかった。
 
 
 
 
 

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