ロゼッタの汽車
03
  
 
 
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「あらバレた?あんたこそどうしてここにいるのよ、シェリ」
「バレるもなにも、隠れるつもりのない奴が何を言う。今まで東方に遊学していたが、父に呼び戻された」
「……お知り合い?」
 ロゼッタはぽかんとした表情でソルを見た。
「そう、昔一度アイツオフィアに行った時の」
 ふざけた様子で青年に笑いかける。
「結婚するんだ?…で、あのさぁ今はちょっと」
 ちら、とロゼッタを見やる。当の彼女はそれには気付かなかったようだ。
 それを見て、青年は軽く息をついて応えた。
「心配ない。とある筋から、話は聞いてる」
「どゆこと?」
「全部知ってて、ここに居るってことだよ…――ああ、失礼。俺はシェリという者で、見てのとおり、アイツオフィアの民だ」
 多少鋭い目つきのシェリは、蚊帳の外のロゼッタのことを思い出したようで、至極穏やかにロゼッタに名乗り、尋ねた。
「よろしければ、名前を教えて貰えるか」
 深すぎる色の、シェリの真っ直ぐな視線が、とてつもなく居心地悪い。ロゼッタは狭い座席の中で、僅かに後ずさった。
 声が思うように出ない。掠れた音が一握り、喉から零れ落ちるだけだ。
「あ…わ、わたくしは……」
 サンルメールのロゼッタ。
 今までその名を口に乗せるときはいつだって、誇りと喜びが共にあった。祝福された都の民、愛される名家。春の姫よと称えられて。
 だけど今日は、その名がなんて重いのだろう。
 会ったことの無い人たちを憎むというのは、こういうことだったのかしら、とロゼッタは思った。
 実際に目の前にした時の、身の置き所のないこの気持ち。こちらが未だ見ぬ彼らに憎しみを抱いていたということは、彼らもそうであって当たり前なのだ。
(……怖い…わ)
 和平を結んだ後も、捕虜の子孫を奴隷として捕らえて離さないサンルメールのことを、憎らしく思っているのだろう、きっと。
(どうして…お父様、どうして)
 彼女は父を恨んだ。同時に、胃の腑がキリ、と痛む。
「…彼女はサンルメールのロゼッタ=クオーツ。あなたの国の王子様のお妃になる人だって」
 見かねたのか、ソルがロゼッタの代わりにシェリに教えた。青年は得心したように頷く。
「…なるほど。やけに護衛が多い訳だ」
(白々しい…)
 そんな彼をソルが呆れたような目で睨んでいることにロゼッタは気付かない。
 彼女は唯、シェリを見上げたまま動けないでいた。
 その表情には困惑と恐れが、見て取れる。
 ふー、と長い息を落として、シェリはその整った顔を歪めた。酷く、苦しそうに。
「サンルメールの姫、か。身構えられても仕方がないな…ロゼッタ姫、あなたもアイツオフィアを憎んでいるのだろう」
「シェリ?」
 ソルもロゼッタも、突然の核心を突く言葉に、驚いたように目を見張る。
「…別に遠慮することは無い」
 その声は、穏やか過ぎて。
「……嫌いよ」
「ロゼッタ?」
 ロゼッタの空色の瞳から一雫、涙がこぼれる。
「あ……」
 シェリは慌てて声をかけようとしたが、それより早く彼女は立ち上がって、声を荒げた。
「嫌いよ、アイツオフィアなど!」
 顔を歪めてそう言うなり、ロゼッタは寝台車の方へと逃げるように走って行った。
 花飾りの玉石が立てる、しゃらしゃらと済んだ音だけを残して。
 
 
 
 
「――……ッ!」
 ロゼッタは寝台に突っ伏して泣いた。どうして涙が出るのか、わからないけれど。
 何がこうまでこの身を竦ませるのか、わからない。
 海を赤く変えたという戦争を知っているわけではないのに。
 何が、こうまでこの心を縛り付けるのか。
(わたくしにはわからない)
 そしてそれが、何故かとても腹立たしい。

 何もかもを、憎んでしまえたらよかったのに。
 彼も。
 
 
 
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「……まずかったのか?」
「まずかったわよ。何でいきなりあんなこと言うの」
 ソルは憮然とした顔でマカロニをまとめて口に突っ込んだ。すっかり冷めてしまっている。
「どうしよう」
 つい、とシェリは途方に暮れる。
「なんだか哀しくなったものだから」
「はぁ?」
「物凄く怯えていただろう、彼女」
 なるほど、とソルは笑った。
「向こう着くまでに、謝りなね。ごちそうさま」
 ナプキンで口元を拭うと、ソルは立ち上がる。そして、まだ立ち尽くしたままのシェリに座るように進め、マカロニグラタンお勧めよ、と言って背を向けた。
「ソル、ひとつ質問」
「なぁに」
「……帰るのか?」
 シェリの問いはまるで確認のようだった。ソルは振り返らないまま、答える。
「うん。もう、 火は消えたって――帰っていいよって、言われたから」
「そうか、よかったな」
 シェリはその言葉でちゃんと理解してくれたようで、ソルはなんだかとてもありがたい気持ちになった。今度は振り向いて、にっこりと笑って言う。
「おかげさまで。あ、じゃあさシェリ。あたしにも教えて。とある筋って、何?」
 ん?と一瞬間抜けな顔になったシェリだが、すぐに渋い顔になって答えた。
「何だかやたらめったら派手な男がな。いきなり俺のところに来て列車で帰れと言った」
 行け、と。その派手な男は言ったという。お前が出会うべき者が乗っている、と。
 その男はもしや。ソルは何かちょっとした符号をそこに感じて、訊ねる。
「その人ってさ、もしかして頭ピンクで」
「琥珀色の瞳に、極楽鳥のような服を着た若い男だ」
(ああ、大当たり)
「やっぱりボスか…」
 呟いたのは聞こえなかったのだろうか。どことなく含みのあるソルの苦笑を、シェリは怪訝そうに見つめる。
「おい、どうした。気持ち悪いぞ」
「失礼な」
 二人笑い合い、陽は中天。
 線路は真っ直ぐ南へと続き、荒野に鉄の線を引く。
 
 
 
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 たたん たたん たたたん
 日が暮れて、列車は夜の帳の中を走りつづけている。
「…………」
 夕食の席には、居心地の悪い沈黙が満ちていた。
(む、胸が詰まる)
 ソルは溜め息をついた。食堂車はひとつしかない上、それほど座席も多くない。ソルとロゼッタの斜め後ろの座席で、シェリが黙々と野菜の鶏包み焼きを口に運んでいた。
 加えて、ロゼッタ。あの後沢山泣いたのかもしれない。微かに目を赤くした彼女は、ソルにすら話し掛けず、黙々と同じ料理を食べている。
「ロゼッタ?」
 彼女の目が、シェリの手元に止まった。とても品の良い食器の使い方をしている。殆ど音も立てていない。
 彼はどういう人なのだろう。
 アイツオフィアの人間は、粗野に手づかみで物を食べるような気が何故かしていた。
「なんでもないわ」
「ロゼッタ姫」
「…っ!」
 いつの間に席を立ったのか、シェリが二人の座席の横の通路に立っていた。
「…なんでしょう」
「先程は、失礼。謝りたくて」
 少ししょげたような、沈んだ表情。
 それが意外で、つい言葉を失った。
「あ……」
「百三十年前、俺達の父祖があなたの都にしたことは誤りだったと思う。戦争を知らない俺がこんなことを言うのは傲慢かもしれないが」
 そう、一旦言葉を切って。
 この青年は一体何を言おうとしているのだろうと、ロゼッタは考える。少なくとも、彼がとても考え深げで、ただの勢いで語っているのではないことはわかった。真っ直ぐに彼女の目を見つめて、続ける。
「…非道いことをした。出来るなら、あなたにも許して欲しい」
 その言葉にロゼッタが呆然としている間に、シェリは一礼して食堂車を出て行った。
(…さて、どうなるやら)
 ソルは心配そうに、彼の後ろ姿と彼女の横顔を見つめた。ふとロゼッタの皿を見て、意外そうに問う。
「ねぇロゼッタ」
「…なぁに」
「タマネギ、嫌い?」
 皿の端に、こんもりと残されたタマネギの山。
 ロゼッタは顔を赤くして、
「人間だれでも、すっ…好き嫌いの一つや二つあるでしょう!」
 上擦った声で言った。恥ずかしいらしい。
「そういうものかな」
「…そういうものよ」
 ソルは雑食なのでピンとこない。
 
 
「ねぇロゼッタ」
「…なぁに」
 ソルは、置きっぱなしのシェリの皿を指差す。
「…………」
 好き嫌いくらいある。彼も同じ人間なのだから。
 ロゼッタの目に映った白い皿の端には、飴色のタマネギが積まれていた。
 
 
 
 
「謝ることが正解なのか、どうか」
 シェリは寝台に腰掛けて、呟いた。
 彼女に分かってもらう為に、何を言えば良いのかわからない。
 謝ることしか、思いつかない。
 海を赤く変えたという戦争を知っているわけではないのに。
 かつて戦争を仕掛けた全ての剣持つものの犯した過ちを、自分ひとりが謝る事で許してもらえるなどと、思えるわけがない。
 だけど、他に方法を知らない。
 何が、こうまで二つの国を呪縛するのか。
(分かりきっているけれど)
 起こってしまった事と、染付いた思いは、変えることが出来ない。
 
 何もかもを、白紙に戻してしまえたらいいのに。
 世界は、そんなに都合よくはない。
 
 
 
 
 
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