ロゼッタの汽車
05
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********* 翌朝。食堂車にはロゼッタの姿は無い。 「お前、ゆうべ彼女と何を話したんだ」 「べつにぃ。ロゼッタのお父さんと、貴方の話をしたけどね」 「…………」 朝食を食べ終わったソルは、三度続けてくしゃみをした。ずず、と鼻をすする。 「風邪か?」 「んー、そうかも…もっかい寝るわ」 ソルは席を立って頭をがしがしと掻いた。 「寝過ごすなよ。昼には着くぞ」 「うぁーい」 ソルのだらけきった後ろ姿を見送って、シェリはふぅ、と息をつく。彼女は相変わらずだ。 それにしても、と彼は陽光の髪の麗人のことを思う。どうして起きて来ないのだろう。具合でも悪いのだろうか。 上の空でサラダを口に運ぶと、薄くスライスされたタマネギが入っているのに気付く。 「くそ」 少し食べてしまった、とフォークでタマネギを空いた皿に除ける。タマネギだけはごめんだ。 「…おはようございます」 「!」 がば、と顔を上げて正面を見ると、すっきりとしたシルエットの青の長衣を着たロゼッタが、緊張した面持ちで立っていた。 「ロ、ロゼッタ姫?…おはよう」 「なんて顔をしてらっしゃる…わたくしも挨拶ぐらいしますわ。そちらに座っても?」 「ああ、どうぞ」 シェリは慌ててテーブルの上を片付けた。 「…ありがとう」 ロゼッタは彼の斜向かいに座ると、キリ、と膝の上の細い手を握り締めた。 それを見て、彼女が決死の覚悟でここにやってきたことに気付く。何かを、話しにきたのだろう。 「…嫌いなんですね」 「え」 それ。とロゼッタはサラダから取り出されたタマネギの山を指差す。 「ああ。タマネギだけは食べれない」 照れたようにフォークを止めるシェリ。 「わたくしも…」 絞り出すような小さな声で、ロゼッタは続けた。 「わたくしも、食べれないんです」 そうして、思う。 どこに生まれたのかが、違うだけ。 昔、幾つかの争いがあっただけ。 まだ、その確執が消えていないだけ。 どこで育ったのかが違うだけ。 彼は、髪と目と肌の色が違うだけで、いくつか歳が違うだけで、タマネギが嫌いな。 「――同じ、です」 同じ、人間。 「昨日は、ごめんなさい、シェリさん」 とても緊張したけれど、思いのほか素直に。 謝罪の言葉は口を突いて出た。シェリの黒い瞳が、驚いたように自分を見つめるのも、前ほど嫌とは思わなかった。 「色々な事を、知りたいと思います。あなた方の国と、わたくしの国の、たくさんの誤解を、知りたいと」 「ロゼッタ姫…」 入り口から、タチアナが厳しい目線を送っていた。少し躊躇してから、それでもロゼッタは彼に笑いかけた。それとわからないほど、微かに。 「話してくれませんか。あなたのこと、あなたの国のこと」 シェリは、彼女が笑ったことが信じられなくて、目をしばたかせた。見間違いで無いと知るや、彼は満面の笑みで、答える。 「――喜んで!」 たたん たたん たたたん そうして二人は、陽が南天に差しかかるまでの長い間、たくさんの話をした。 ロゼッタの胸に、かつて聞き流した父の言葉が甦る。 ――総てのものが、移ろい変わりゆく。そして自らのものでない憎しみに囚われて目を閉じるのは、この上なく愚かなことだと、ロゼッタ、そう思いなさい。 ああ、やっとあの言葉が息を吹き返した。 こうして、絡まった紐が優しく解けていくならいい。 こんな風に、ギクシャクしながら。それでもこんな風に綺麗に、結びなおせるなら。 そんな可能性が残されているから、世界は。 この世界は優しく、美しい。 **********
「ソル、起きろ!着いたぞ!」 案の定寝過ごすソルを怒鳴りつけて、着替えたシェリは大又で寝台車を通り過ぎる。 もそもそと置きだしたソルがあくびをしながら降り口に行くと、またもやシェリに怒鳴られた。 「もわーぁふ」 「だらしが無い!」 そんな二人を見て、ロゼッタがくすくすと笑っていた。おや、とソルは笑って、シェリに小声で囁く。 「仲良くなれそ?」 「なんとかな」 さて、とシェリは窓の外を見て、それから肩にかけていた生成り色のショールを、腕と肩の見える服を着ているロゼッタに頭から被せた。タチアナ達護衛と女官がどよめく。 「そのままでは、火ぶくれになる」 「ありがとう…」 こちらへ、とシェリが手を差し伸べると、ロゼッタは少し躊躇ってからその手を取った。 (見ているこっちが恥ずかしいわ) どこから出てきたのか、数人のアイツオフィア人の男が扉を開けて、二人のために道を作った。 どうやらシェリの護衛らしい彼らを見て、ロゼッタはふと疑問に思う。 (…彼は、何者なのかしら) 護衛が着く身分となると限られてくる。 「さあ」 手を引かれ、一歩踏み出すと、眼を焼かれるほど眩しい太陽が彼女を迎えた。そして、目の前をたくさんの花びらが埋め尽くした。どっと空気を揺らす、歓声。 「え…?」 はらはらと降りかかる鮮やかな花吹雪に、呆けたように立ち尽くすロゼッタ。降り口の正面には、たくさんのアイツオフィア人が彼女を迎えるようにしていた。 その中の一人――壮年の、がっしりとした堂々たる体躯の男が、ゆっくり彼女に歩みより、にっこりと微笑んだ。 「ようこそ、アイツオフィアへ。ロウズベール=クオーツの娘御、サンルメールのロゼッタ姫。我らは貴女を歓迎しよう」 上質の着衣と周りの者の態度から、彼が誰であるのかはすぐに分かった。 「国王陛下であらせられますか?」 「いかにも。おや、シェリ。お前、どうして列車で帰ってきたのだ?海路を使えといっただろう」 「それが、色々ありまして」 ロゼッタは、自分の手を取っている青年をまじまじと見つめた。 (まさか) 「陛下。彼は……」 む、と王は意外そうな顔で二人を見る。 「これは、貴女に名乗ら無かったのですか。仕方の無い奴だな。顔合わせはもう少し先の予定だったのだけれどね。私の息子、タシェリス=ラーフラ・オフィア、貴女の夫となる男だ」 不肖の息子だが、よろしく頼むと王は笑い、ふと真剣な表情になると、ロゼッタに頭を下げた。 「かつては貴女の愛する都に、とても申し訳ないことをした。そのことで貴女方が我が国を憎むのも仕方が無いとは思うが、どうか、目を開けてはくれないか。今のアイツオフィアと今のサンルメールが近づく道を、貴女にも探って欲しいと思っている」 その真剣さは、シェリ――タシェリスが見せたものとそっくりで。ロゼッタは、ひとつの予感と共に、多少ぎこちないけれど、精一杯の笑顔で王の手を取った。 「わたくしにも、たくさんの誤解がありました。憎むだけで、アイツオフィアを知ろうともしなかった」 だけど、まだ遅くない。 隣に立つタシェリスを見る。彼とならば。 あまりにも時間と距離を隔てた二つの国が近づく道を、捜し求めていけるかもしれない。 「努力いたします」 「ありがとう、姫君」 そんな二人を嬉しそうに見つめるシェリの横にやってきたソルは、予言者めかして彼に言う。 「ここも昔に比べて、とても優しい。サンルメールの春の姫君にも、アイツオフィアの太陽の祝福があるわ。きっと」 きっときっと、彼と彼女は道を見つけるだろう。 「おめでとう。いろいろあるだろうけど、仲良くね」 「お前に言われなくても」 「可愛くないなぁ」 くすくすと、笑うソルに降り注ぐ眩しい光。 まだ少し緊張しているロゼッタと、穏やかに彼女を見つめるシェリ。 きっときっと、彼と彼女に祝福はあるだろう。 「ソル!」 唐突にロゼッタが自分に抱きついてきたので、ソルはバランスを崩してよろめいた。その肩をシェリが支える。ロゼッタは花のように笑った。 「…ありがとう、ソル」 「ロゼッタ…」 「あなたにも、あなたを待っている人にも、同じように祝福がありますように…!わたくしの目を開かせてくれたあなたに」 ソルは太陽の下で、タシェリスとロゼッタを抱き締め、笑った。 ほら、世界は変わる。 一人と一人の小さな和解が、国と国との和解に繋がる日が来るかもしれない。 国も世界も人と人で結ばているのだもの。 絡まってしまったものも、端からゆっくりとなら、解すことが出来るかもしれない。 そして、その先にある光に、手が届くことも。 ほら、だから、世界は優しいのだ。 サンルメールの時計が動き出すのは、もう少し先のこと。 |