ロゼッタの汽車
05
 
 
 
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 翌朝。食堂車にはロゼッタの姿は無い。
「お前、ゆうべ彼女と何を話したんだ」
「べつにぃ。ロゼッタのお父さんと、貴方の話をしたけどね」
「…………」
 朝食を食べ終わったソルは、三度続けてくしゃみをした。ずず、と鼻をすする。
「風邪か?」
「んー、そうかも…もっかい寝るわ」
 ソルは席を立って頭をがしがしと掻いた。
「寝過ごすなよ。昼には着くぞ」
「うぁーい」
 ソルのだらけきった後ろ姿を見送って、シェリはふぅ、と息をつく。彼女は相変わらずだ。
 それにしても、と彼は陽光の髪の麗人のことを思う。どうして起きて来ないのだろう。具合でも悪いのだろうか。
 上の空でサラダを口に運ぶと、薄くスライスされたタマネギが入っているのに気付く。
「くそ」
 少し食べてしまった、とフォークでタマネギを空いた皿に除ける。タマネギだけはごめんだ。
「…おはようございます」
「!」
 がば、と顔を上げて正面を見ると、すっきりとしたシルエットの青の長衣を着たロゼッタが、緊張した面持ちで立っていた。
「ロ、ロゼッタ姫?…おはよう」
「なんて顔をしてらっしゃる…わたくしも挨拶ぐらいしますわ。そちらに座っても?」
「ああ、どうぞ」
 シェリは慌ててテーブルの上を片付けた。
「…ありがとう」
 ロゼッタは彼の斜向かいに座ると、キリ、と膝の上の細い手を握り締めた。
 それを見て、彼女が決死の覚悟でここにやってきたことに気付く。何かを、話しにきたのだろう。
「…嫌いなんですね」
「え」
 それ。とロゼッタはサラダから取り出されたタマネギの山を指差す。
「ああ。タマネギだけは食べれない」
 照れたようにフォークを止めるシェリ。
「わたくしも…」
 絞り出すような小さな声で、ロゼッタは続けた。
「わたくしも、食べれないんです」
 そうして、思う。
 どこに生まれたのかが、違うだけ。
 昔、幾つかの争いがあっただけ。
 まだ、その確執が消えていないだけ。
 どこで育ったのかが違うだけ。
 彼は、髪と目と肌の色が違うだけで、いくつか歳が違うだけで、タマネギが嫌いな。
「――同じ、です」
 同じ、人間。
「昨日は、ごめんなさい、シェリさん」
 とても緊張したけれど、思いのほか素直に。
 謝罪の言葉は口を突いて出た。シェリの黒い瞳が、驚いたように自分を見つめるのも、前ほど嫌とは思わなかった。
「色々な事を、知りたいと思います。あなた方の国と、わたくしの国の、たくさんの誤解を、知りたいと」
「ロゼッタ姫…」
 入り口から、タチアナが厳しい目線を送っていた。少し躊躇してから、それでもロゼッタは彼に笑いかけた。それとわからないほど、微かに。
「話してくれませんか。あなたのこと、あなたの国のこと」
 シェリは、彼女が笑ったことが信じられなくて、目をしばたかせた。見間違いで無いと知るや、彼は満面の笑みで、答える。
「――喜んで!」
 
 
 たたん たたん たたたん
 そうして二人は、陽が南天に差しかかるまでの長い間、たくさんの話をした。
 ロゼッタの胸に、かつて聞き流した父の言葉が甦る。
――総てのものが、移ろい変わりゆく。そして自らのものでない憎しみに囚われて目を閉じるのは、この上なく愚かなことだと、ロゼッタ、そう思いなさい。
 ああ、やっとあの言葉が息を吹き返した。
 こうして、絡まった紐が優しく解けていくならいい。
 こんな風に、ギクシャクしながら。それでもこんな風に綺麗に、結びなおせるなら。
 そんな可能性が残されているから、世界は。
 この世界は優しく、美しい。
 
 
 
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「ソル、起きろ!着いたぞ!」
 案の定寝過ごすソルを怒鳴りつけて、着替えたシェリは大又で寝台車を通り過ぎる。
 もそもそと置きだしたソルがあくびをしながら降り口に行くと、またもやシェリに怒鳴られた。
「もわーぁふ」
「だらしが無い!」
 そんな二人を見て、ロゼッタがくすくすと笑っていた。おや、とソルは笑って、シェリに小声で囁く。
「仲良くなれそ?」
「なんとかな」
 さて、とシェリは窓の外を見て、それから肩にかけていた生成り色のショールを、腕と肩の見える服を着ているロゼッタに頭から被せた。タチアナ達護衛と女官がどよめく。
「そのままでは、火ぶくれになる」
「ありがとう…」
 こちらへ、とシェリが手を差し伸べると、ロゼッタは少し躊躇ってからその手を取った。
(見ているこっちが恥ずかしいわ)
 どこから出てきたのか、数人のアイツオフィア人の男が扉を開けて、二人のために道を作った。
 どうやらシェリの護衛らしい彼らを見て、ロゼッタはふと疑問に思う。
(…彼は、何者なのかしら)
 護衛が着く身分となると限られてくる。
「さあ」
 手を引かれ、一歩踏み出すと、眼を焼かれるほど眩しい太陽が彼女を迎えた。そして、目の前をたくさんの花びらが埋め尽くした。どっと空気を揺らす、歓声。
「え…?」
 はらはらと降りかかる鮮やかな花吹雪に、呆けたように立ち尽くすロゼッタ。降り口の正面には、たくさんのアイツオフィア人が彼女を迎えるようにしていた。
 その中の一人――壮年の、がっしりとした堂々たる体躯の男が、ゆっくり彼女に歩みより、にっこりと微笑んだ。
「ようこそ、アイツオフィアへ。ロウズベール=クオーツの娘御、サンルメールのロゼッタ姫。我らは貴女を歓迎しよう」
 上質の着衣と周りの者の態度から、彼が誰であるのかはすぐに分かった。
「国王陛下であらせられますか?」
「いかにも。おや、シェリ。お前、どうして列車で帰ってきたのだ?海路を使えといっただろう」
「それが、色々ありまして」
 ロゼッタは、自分の手を取っている青年をまじまじと見つめた。
(まさか)
「陛下。彼は……」
 む、と王は意外そうな顔で二人を見る。
「これは、貴女に名乗ら無かったのですか。仕方の無い奴だな。顔合わせはもう少し先の予定だったのだけれどね。私の息子、タシェリス=ラーフラ・オフィア、貴女の夫となる男だ」
 不肖の息子だが、よろしく頼むと王は笑い、ふと真剣な表情になると、ロゼッタに頭を下げた。
「かつては貴女の愛する都に、とても申し訳ないことをした。そのことで貴女方が我が国を憎むのも仕方が無いとは思うが、どうか、目を開けてはくれないか。今のアイツオフィアと今のサンルメールが近づく道を、貴女にも探って欲しいと思っている」
 その真剣さは、シェリ――タシェリスが見せたものとそっくりで。ロゼッタは、ひとつの予感と共に、多少ぎこちないけれど、精一杯の笑顔で王の手を取った。
「わたくしにも、たくさんの誤解がありました。憎むだけで、アイツオフィアを知ろうともしなかった」
 だけど、まだ遅くない。
 隣に立つタシェリスを見る。彼とならば。
 あまりにも時間と距離を隔てた二つの国が近づく道を、捜し求めていけるかもしれない。
「努力いたします」
「ありがとう、姫君」
 そんな二人を嬉しそうに見つめるシェリの横にやってきたソルは、予言者めかして彼に言う。
「ここも昔に比べて、とても優しい。サンルメールの春の姫君にも、アイツオフィアの太陽の祝福があるわ。きっと」
 きっときっと、彼と彼女は道を見つけるだろう。
「おめでとう。いろいろあるだろうけど、仲良くね」
「お前に言われなくても」
「可愛くないなぁ」
 くすくすと、笑うソルに降り注ぐ眩しい光。
 まだ少し緊張しているロゼッタと、穏やかに彼女を見つめるシェリ。
 きっときっと、彼と彼女に祝福はあるだろう。
「ソル!」
 唐突にロゼッタが自分に抱きついてきたので、ソルはバランスを崩してよろめいた。その肩をシェリが支える。ロゼッタは花のように笑った。
「…ありがとう、ソル」
「ロゼッタ…」
「あなたにも、あなたを待っている人にも、同じように祝福がありますように…!わたくしの目を開かせてくれたあなたに」
 ソルは太陽の下で、タシェリスとロゼッタを抱き締め、笑った。
 
 
 ほら、世界は変わる。
 一人と一人の小さな和解が、国と国との和解に繋がる日が来るかもしれない。
 国も世界も人と人で結ばているのだもの。
 絡まってしまったものも、端からゆっくりとなら、解すことが出来るかもしれない。
 そして、その先にある光に、手が届くことも。
 ほら、だから、世界は優しいのだ。
 サンルメールの時計が動き出すのは、もう少し先のこと。
 
 
 
 
 
 自分で選んだ道をずっとずっと辿ってきた。
 引き返しているのではなくて、もう一度、違う目で同じものを見るためにだ。
 そして、彼の待つあの場所に帰るために。
 ソルはまた、列車に乗る。
 
 
 
 
 
おしまい
彼女の始まりの街へ、つづく
2004年7月発行「ムセイオン 46」収録作品

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